本田圭佑がミランで直面する厳しい現実 求められる結果、忍耐の時期は続く

神尾光臣

まさかのレジスタで投入される

テベスにボールを奪われたプレーにはブーイングも起きるなど、ファンから向けられる視線も厳しさを増している 【Getty Images】

 この頃からセードルフは攻守のバランスを意識するようになり、守備の際は4−4−1−1のようなシステムに整えて安定を図るようになった。つまりサイドには、サイドの選手として縦の上下動をこなす動きを求め、トップ下にもいわゆる『司令塔』ではなく、別の役割を要求するようになる。その過程で選択されたのが、アンドレア・ポーリやリカルド・サポナーラなどの若手だった。

 彼らに共通しているのは、献身的なランニングができるということだ。もともとボランチのポーリだが、攻撃センスも低くはなくゴール前へも飛び出して行ける。アトレティコ・マドリー戦ではその持ち味を生かし、中盤の守備を固めつつ前線へと積極的に飛び出してチームを活性化させていた。一方サポナーラは、「走れるファンタジスタ」として若年層では定評を確立してきた選手。サンプドリア戦ではセカンドトップのように動いて、前線のスペースをかき回していた。

 そして「小さなミスが命取りになるので、極力その排除を図らなければならない」と、セードルフ監督が注意を払ったユベントス戦では、ポーリがトップ下として起用されたのだ。「僕の持ち味を生かしてくれるポジションだ」と前向きに語る彼は、猛烈に動いて監督の期待に応えた。アンドレア・ピルロにプレッシャーを掛け、中盤のスペースを埋めてルーズボールを拾い続けただけでなく、チャンスではゴール前に飛び出し、決定的なシュートも2、3度放っている。

 不運にも彼は、後半開始早々にレオナルド・ボヌッチと空中戦で競り合った際に頭部を強打。交代を余儀なくされるが、その交代選手にはサポナーラが呼ばれる。彼もまたすさまじい運動量を見せ、ポーリに課せられた戦術的なタスクを懸命に遂行していた。こういう事情であれば、タイプが全く異なる本田は確かにトップ下として使いにくいのだろう。

 しかしユベントス戦で、本田の出番は急に訪れることになった。0−2のビハインドで迎えた後半26分、セードルフ監督は本田をベンチから呼ぶ。交代選手として提示された番号は18番、つまりリカルド・モントリーボだった。起用位置は、まさかのレジスタである。

ファンからはまたもブーイングが

 さすがにボールを多く触れ、前が向けるポジションだとパスは回しやすくなる。投入から早速1分後、速く正確なキックで左サイドに展開し、その流れからCKを奪った。その後も小気味よくダイレクトパスを駆使し、ナイジェル・デ・ヨングやウルビー・エマヌエルソンにパスをさばいて走らせては、組み立てを図った。深い位置から長短のパスを生かす様子も、わりと様になっていた。

 ただ、そんな彼を再び厳しい現実が襲う。CKのリスタートから始まった32分、右のコーナースポット付近でボールを保持した本田は、守備に回ったカルロス・テベスとマッチアップする。彼はフェイントでかわしてクロスを上げようとしたが、なんと引っかかってボールを奪われ、突破を許してしまう。テベスにはそのままボールを前まで持って行かれ、サン・シーロのファンからは本田に対しまたブーイングが浴びせられた。

 心理的な影響なのか、それを境に本田のプレーは正確さを失ったようにも見えた。エマヌエルソンに展開しようとすればパスが短く相手に取られ、高い位置でカカにパスを付けてもらい、縦パスを放てば味方には通らない。41分にパスをミスした際には、記者席から「ブラーボ」という声も上がってきた。もちろん嫌味だ。46分には、ダイレクトで見事なパスを右サイドに流れたサポナーラへと通し、それは最終的にロビーニョのクロスバー直撃のシュートへとつながっている。本当に良かったのはこのプレーぐらいだった。

 視野が開け、サイドのような移動距離を強いられるわけでもないレジスタは、意外と合っているのかもしれない。だが、いずれにせよ求められるのは得点につながるプレーだ。セードルフ監督は試合後、「本田を使って何かチャンスが作れないかと思った。モントリーボは疲れていたので、ここで攻撃でも迫力を出せる選手の投入を図った」と語った。この言葉からは本田にあくまで攻撃を期待しており、その意味でもう少し積極的に仕掛けてほしかった、という無念さが透けて見えるようでもあった。

 刻々と状況は厳しくなっていく。結果につながるプレーを一つでも多くできれば、本田ももっとパスを付けてもらえるようになるはずである。しかし今は、そこまでが遠い。忍耐の時期は続く。

<了>

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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