帝京大5連覇を支えた無名選手の物語 「愚痴ばかり」から変化した牧田旦
帝京大の5連覇に大きく貢献した牧田旦。3年まで3軍だったが、4年でレギュラーをつかんだ 【矢崎佐代子】
152人の部員を擁する帝京大で、昨年まで3軍でプレーしていた「無名」の選手がどのようにレギュラーをつかみ、輝いたのか。2月16日から始まる日本選手権に向けて準備を進める牧田に聞いた。
「乗り物に弱くて」地元の高校へ
父親がラグビーを見るのが好きで、地元にある藤沢ラグビースクールに僕と兄を連れて行ったんですね。そこで始めるようになりました。
――高校は湘南工大付高でしたが、その理由は?
僕、今は大丈夫なんですけど、昔は乗り物に弱くて(笑)。当時は電車で1、2時間かけて通学するのは考えられなかったんですよ。それで、自宅から近くてラグビーが強い高校を探した結果、湘南工大付高になりました。
兄は向上高で、そこからお誘いもあったのですが、ちょっと遠すぎて……(苦笑)。通学に電車で2時間くらいかけるのだったら、(湘南工大付高は)自宅から自転車で5〜10分くらいで行けるし、その方が時間も有効に使えるかなと思って、決断しました。
――帝京大を選んだ理由は?
基本的に、ラグビーで大学に行けたらいいなとは思っていて。2校くらい声をかけていただきました。ただ、湘南工大付高のコーチの方が帝京大のOBだったので、入学しました。ちょうど僕が入る前の年に大学選手権で優勝して、僕らの代までずっと優勝を続けたという感じですね。
「イメージがなかった」公式戦出場
優勝しているチームなので、最初はビビッていました。ただ、入ってみれば気さくな先輩方もいて、スタッフの方も優しかったですし、面倒見の良い人ばかりで、とても良い環境だなと感じましたね。それに、OBでグラウンドまで足を運んでくれる人もたくさんいます。そういうのを見て、やっぱり「愛されているチームなんだな」と感じます。
――公式戦に出られるようになると思っていましたか?
もちろん、目指していたところではあったんですけど、自分の中ではそういうイメージがなくて。「どうやったらなれるかな」と。
一応、他の選手に比べれば試合に絡めていた方なので、良い環境にいました。ただ、そのチャンスを生かすことができなくて……。周りからよくいじられました(笑)。
(岩出雅之)監督からは「お前は1年生からチャンスを与えていたのに、モノにできなかったな」と言われます。
愚痴を言って迷惑をかけたリハビリ期間
1年生の12月に膝の靭帯(じんたい)、内側と前十字を2本切ってしまって。そこから3年生の春まで試合に出ていません。戻ってきた後はCチーム、Dチームだったんですけど、4年生の春から上のチームに出させてもらいました。徐々に徐々に、ステップアップしていったというところです。
――ケガをした時期は、つらかったのではないでしょうか?
そうですね。何よりもラグビーができなかったのが辛かったです。ラグビーをするためにこの大学に入ってきたのに、それができないというのは、かなりキツかったですね。一番、楽しみにしていたものが取り上げられたので。
――いろいろな方の支えがあったと思います。
特にスタッフ、トレーナーの方にはお世話になりましたね。いろいろと愚痴を他の人に言ってしまうタイプなので、迷惑をかけたと思います。4年生になって監督からも「愚痴をよく言うときのプレーは良くなかった」と言われます。ただ、3年生になって食事係長という役職に就いてからは、あまり口にしなくなりましたね。