アレグリ監督解任、本田への影響は?=不振を極めるミランのチーム事情

神尾光臣

サッスオロ戦後には半ばクビを覚悟

自身が名を上げたサッスオロに敗れ、解任を言い渡されたアレグリ監督。チームを率いてきた4年間で好成績を収めながらも、内部には敵も作っていた 【Getty Images】

「これまでの他の試合と同じように、またも失望感の漂う試合を展開してしまった。全員の貢献のもとで、早急に変化を施す必要がある。今日の試合のような受け入れ難いパフォーマンスを、サポーターが見なければならなくなるようなまねはもはや許されない」

 ミランがセリエA第19節でサッスオロに敗れた直後の12日夜、バルバラ・ベルルスコーニ副会長はイタリアの通信社「ANSA」を通し、怒りのメッセージを発信した。組織の大改革は、さしあたってマッシミリアーノ・アレグリ監督の解任を意味するものだった。

 試合後、記者会見の直前にこの一報が伝わり、「あなたはおそらく解任される事になると思うが、そうなったらどう感じるか」と地元記者から直球の質問が浴びせられる。アレグリ監督は「ガッリアーニCEOとは話した」としつつ、「前半戦で勝ち点22に終わった今季の順位低迷(19節終了時で11位)は残念。チームが処遇を決定し、私はその決定に従う。ただ今までの4年間、自分のやってきたことに後悔はない。たとえ私が解任されるとしてもだ」と半ばクビを覚悟していた発言をしていた。

昨シーズンまでは結果を残した若手の有望監督

 そしてその12時間後、ミランの公式HPでアレグリ監督の解任が発表された。当面は、助監督を務めていたマウロ・タソッティが暫定的に指揮を執る。何とも皮肉な結末だ。サッスオロは、アレグリ監督の名をスターダムに押し上げた古巣だったのだ。

 2007−08シーズン、当時39歳だったアレグリはセリエC1(3部)だったサッスオロを就任1年目にして初めてセリエB(2部)へと昇格させた。組織のディシプリン(規律)を守らせながらも、選手の個性を消さないチーム作りは極めて高く評価され、イタリアリーグ第3部のレーガ・プロ・プリマ・ディヴィジオーネ最優秀監督に選出された。シーズン終了後にはセリエBの指揮は未経験のまま、セリエA・カリアリの監督へ抜てきされる。カリアリの2年間でも、最高位9位と手腕は素晴らしく、彼の築いた4−3−1−2は今なおこのクラブの土台であり続けている。

 そんな有能な若手監督をビッグクラブが放っておく手はなく、最初に手をつけたのがミランだったのだ。ファビオ・カペッロやカルロ・アンチェロッティなど、OBの長期政権のイメージが強い同クラブだが、優秀な若手指揮官の抜てきも図っている。ゾーンプレスをサッカー界に確立させたあのアリーゴ・サッキや、アルベルト・ザッケローニ現日本代表監督などは、その最たる例である。

 そして彼は就任初年でチームに7シーズンぶりとなる優勝をもたらし、その後の2シーズンも全て3位以内に入賞。「カンピオナートは守備で勝つものだ」というポリシーのもと、3枚のアタッカーと攻撃的な両サイドバック(SB)を用いながら、組織守備もおろそかにしないチーム作りが好成績の秘訣だった。

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著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

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