急速な成長を遂げた長友佑都の攻撃力=新指揮官との出会いが起こす“化学変化”

神尾光臣

攻撃面で早くも前年の成績に並ぶ

今季の長友(右)は攻撃面で強大なインパクトを残している。公式戦7試合で2ゴール3アシストとすでに前年の成績に並んだ 【Getty Images】

 3年前、チェゼーナに移籍しセリエAに挑戦した長友佑都は、当初から評判を築いていた。ただチーム全体が守備に追われることが多かったその時代、左サイドバックとして起用されていた長友の走力は、主に対面の相手を封じ込むために用いられていた。

 しかし4シーズン目の今季、長友は攻撃面で強大なインパクトを残している。しかもインテルでだ。開幕から2試合連続でゴールを挙げ、第4節(9月22日)のサッスオロ戦、並びに第6節(9月29日)のカリアリ戦ではアシスト。昨シーズンは故障がなければもっと数字伸ばせた可能性もあるが、ともかく公式戦たった7試合で、2得点3アシスト(カップ戦含む)という前年の成績に並んだ。

 インテル移籍後は攻撃に出ようとするあまり、かえって守備に難が出るシーンも少なくはなかったが、今シーズンはそれも安定している。厳しいイタリア人記者ですら「これまでは正直見ていて危なかっしかったが、今は守備に困ったシーンを一度も見ていない」という。単に好調という言葉だけでは説明がつかないこの変貌は、一体何が秘訣(ひけつ)となって起こったのだろうか。

卓越した指導理論を持つ「イタリアの知将」

「マッツァーリのおかげだ」

 地元ファンや記者に長友の変化について印象を尋ねると、全員判を押したようにワルテル・マッツァーリ監督の手腕を強調する。

 リボルノを54年ぶりのセリエA昇格に導き、レッジーナ時代の2007年には勝ち点マイナス11ポイントというペナルティーを跳ね返し残留に成功。サンプドリアではレアル・マドリーで自堕落の限りを尽くしたアントニオ・カッサーノを再生させ、ナポリを強豪の一角に成長させるなど数々の“奇跡”を起こしてきた知将は、3バックを得意としていた。

「戦力の限られたチームでも守備専従にならず、攻撃を楽しみながら勝つにはどうしたら良いか」という命題のもと、「広くピッチを使える」という理由でこのシステムを採用。従って長友が務めるウイングバックは、戦術上重要なポジションとなる。7月、休暇を終えてチームに合流したばかりの彼は「必ず攻撃ではサイドを経由するのでやりがいがある」と意欲的に語っていた。

 アンドレア・ストラマッチョーニ前監督のもと、ウイングバックを務めたのは昨季と一緒。だがマッツァーリからの要求は段違いに多かった。これまでは極端に言えば、縦のスペースを突破するだけで良かったが、今度はタスクが増える。起点となって縦パスで味方を走らせたり、またはFWにクサビのパスを当てたり、ボールを離した後も外へ開いたり中へ絞ったりと、何パターンもの動きをたたき込まれる。守備でもボールの位置によって、細かいプレスやカバーリングの約束事が決まっていた。

 あまりの要求の多さに長友は「(教えられたことが)多すぎて、具体的に言い出したら一ヶ月ぐらいかかりそう。頭パンパンにしてやってます」と苦笑。しかし一方で、そう語る彼の顔は楽しそうでもあった。

「動きはすべてに意図がある。こう動くことによってスペースができて、ここを使えばスムーズに攻撃ができると監督が説明してくれる。『あ、なるほど、こういうふうにサッカーは成り立っているんだな』ということを思いますね、たくさん」

 実際、このような指導により長友の動きは急速に洗練されていったのだ。

1/2ページ

著者プロフィール

1973年9月28日、福岡県生まれ。東京外国語大学外国語イタリア語学科卒。97年の留学中にイタリアサッカーの熱狂に巻き込まれ、その後ミラノで就職先を見つけるも頭の中は常にカルチョという生活を送り、2003年から本格的に取材活動を開始。現在はミラノ近郊のサロンノを拠点とし、セリエA、欧州サッカーをウオッチする。『Footballista』『超ワールドサッカー』『週刊サッカーダイジェスト』等に執筆・寄稿。まれに地元メディアからも仕事を請負い、08年5月にはカターニア地元紙『ラ・シチリア』の依頼でU−23日本代表のトゥーロン合宿を取材した。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント