プロバスケの活動で子ども達に夢を!=NBL熊本ヴォルターズ誕生のストーリー
NBL開幕を控え「熊本ヴォルターズ」が始動。今年8月の会見には地元報道陣が多数詰めかけた。 【河合麗子】
今年のアジア選手権では代表が9位と惨敗し、早急な立て直しが求められる男子バスケ。そんな中、実業団中心だったJBLの「プロ化」を推し進め、NBLに生まれ変わることになる。そのキーワードの1つが「地域密着」だ。
リーグが目指す「プロ化」とは、それぞれのチームがより地域の応援を得てファンを増やし、プロバスケ選手を“夢”とする子ども達を増やす。そのことで、競技のすそ野を広げ、強化していくことだ。
当初目指していたbjリーグとの統合はならなかったが、新シーズンのNBLは、12チーム中、7チームがプロチームという構成になった。
そんな中、ゼロからのプロチーム作りに挑戦し、開幕を迎えるのが熊本ヴォルターズだ。
子ども達の夢を作りたい――中学教師の熱い思い
熊本ヴォルターズを運営する熊本バスケットボール株式会社の湯之上聡代表取締役 【熊本バスケットボール株式会社】
その中学教師が、熊本ヴォルターズを運営する熊本バスケットボール株式会社の湯之上聡代表取締役、35歳だ。
大学までバスケ部に所属し、「バスケの素晴らしさを多くの子ども達に伝えたい」と教師の道に進んだ。しかしその思いは壁にぶつかることとなる。
教育現場で見た現実は、「夢を描けない子ども達」があまりにも多いということだった。湯之上代表は「学校教育の難しさを痛感し、このままの教育の在り方でいいのか葛藤の連続だった」と当時を振り返る。
そんな湯之上代表の転機は2007年。バスケットをより学びたいとアメリカ留学を決意したのだった。
留学先となったシアトルの大学では、NBAシアトル・スーパーソニックス(現オクラホマシティ・サンダー)の公式練習場だった。大学生が練習する隣のコートでNBAの大スターが練習し、選手たちは大学生に気軽にあいさつ、写真撮影にも応じてくれる身近な存在だった。そしてそれは地域の子ども達にとっても同じだった。
「NBAは地域に密着する活動で地域に愛されていた。子ども達はそんな身近な選手達を憧れとし目標として過ごしていた」留学生活で得た感動をこう振り返る湯之上代表の表情はきらきらと輝いていた。“子ども達が夢を明確に描ける環境”がアメリカにはあったのだ。
帰国後、湯之上代表は教師という安定した道を捨てた。2008年「NPO法人熊本にプロバスケットボールチームをみんなで創ろう会」を設立し、自分の思いを叶える新しい道を選択した。
しかし、当初「子ども達の“夢”を作りたい」という元中学教師の熱い思いは、なかなか熊本県民の胸に響かなかった。
NBL参入までの道のりと熊本のバスケ事情
そんな彼を支えた一人が、県内大手の中古車販売会社を経営する住永栄一郎氏。出会いのきっかけは、バスケットをしていた息子が湯之上代表のバスケット教室に参加したことだった。
湯之上代表の思いに共感して、直接アメリカに行きNBAを体感した住永氏は、バスケは「熊本でも人気が出る」と経営者の“勘”が働いたという。
2009年、まず手始めに、中古車を置く駐車場に“遊び”で作っていたバスケットコートを利用して、3on3大会を開いてみた。するとわずか3週間ほどの準備で60以上のチームが集まった。
実は熊本県は、バスケットボールへの関心が比較的高い県である。
2012年度日本バスケットボール協会に登録する競技者数は12831人。その数は全国14位と平凡なものに見えるが、これを人口比にすると見え方が違ってくる。全国15位までの都道府県で、1万人あたりの競技者数を出してみた。
<競技者数>
1位神奈川県 37710人
2位埼玉県 33974人
3位北海道 31927人
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14位熊本県 12831人
15位沖縄県 12589人
<1万人あたりの競技者数>
1位沖縄県 90人
2位熊本県 71人
3位長野県 63人
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14位兵庫県 30人
15位東京都 23人
※人口は2011年10月1日現在、総務省HPを参照し計算
1万人あたりの競技者数1位は沖縄県。bjリーグのチケットセールス1位である琉球ゴールデンキングスの地元だ。
そしてこの沖縄県に次ぐのが熊本県なのである。熊本にはもともと、バスケを支える土壌があった。