タイ・チョンブリを支える“何でも屋”=サッカー協会名誉会長を父に持つ小倉敦生
タイ人は「サバイサバイ」体質
12歳以下の大会に出場するため、来日したチョンブリFC(赤)。高いテクニックを見せていた 【スポーツナビ】
昨年から変更を加えまして、全寮制になっています。宿舎で生活し、ホームスクーリング形態ですね。このような海外の大会に突発的に呼ばれても行けるようにしたいので、県の認可をもらって学校のスケジュールに左右されないようにしています。ここ数年、トップチームに上がってくる割合が悪かったので、新しいやり方にしました。
――タイの他のクラブはどうなんでしょうか?
チョンブリはこのような取り組みを20年以上やっていて、これまでチョンブリ経由でタイ代表選手を100人以上輩出した実績を持っています。2、3年前まではチョンブリくらいしかアカデミーはありませんでしたが、ここ最近はムアントン・ユナイテッド、バンコク・グラスFC、ブリーラム。といった国内の強豪クラブが活動を始めています。
――五輪年代くらいまで強くて、そこから伸びないというイメージがタイの選手にはありますが
そうですね。大人になってお金を持ってしまうと向上心が消えてしまう。タイ人は内弁慶な体質なので、海外に行きたがらないというのもあります。無理してまで苦労したくない、であれば現状維持がいい。「サバイサバイ」という言葉があって、日本語で「心地いい」という意味なんですけど、「サバイサバイ」体質です。
実際J2のチームから移籍オファーが来た選手がいましたが、即答で断っていましたね。「(日本サッカーは)つらいし、プレッシャーがきついし、絶対行きたくない」って。家族と離れるのが何より嫌なんですよ。ホームシックにかかりやすい。そこを直すためにも、うちは親元から離して全寮制にしているんですよね。
――選手たちを海外に連れ出すのも大変ですね
その取り組みの一環として、昨年はヴィッセル(神戸)さんのところに2カ月半くらい留学させてもらったりしています。
――神戸の話が出ましたが、クラブ提携(※12年3月に業務提携を発表)の目的は何でしょうか?
人材交流が第一の目的ですね。提携したところでトップチームを動かすことは、手間がかかるしお金もかかるし、双方にとってメリットはそんなにないと当初はお互いに見ていました。当時の叶屋(宏一)社長と話していても、まずはできるところから、無理せずに身の丈に合ったところからやりましょうと。
――なぜ神戸だったのでしょうか?
一番最初に(交渉に)来てくれて、あとはお互いにやるメリットが一緒でした。日本で(人材交流を)やらせたいこともあり、そういう機会も与えてもらえるし、あとは指導者の方にも、将来的にはこっちを支援してほしいと思っていました。クラブとしては即決でしたね。
――将来的な展望はどう考えていますか?
昨年、「ヴィッセルカップ」という大会に招待されて行きましたが、できれば選手やコーチを交流させたいと考えています。今度神戸から育成年代のコーチを派遣してもらうという話も出ているし、日本の指導方法や経験に実績、ノウハウを教えてほしいと思っています。
タイは指導者こそたくさんいますが、向上心と経験がありません。だから、意識改革をさせないといけないと思います。あとは育成年代からJリーグにデビューさせたいっていうのはありますが、現在は18歳以下での海外移籍は禁止なので、そのルールがなんとかならないかなと、AFCとかとも話をしています。
アジアの問題はノウハウと人がいないこと
取り組みは面白いので、もっとどんどんやってほしいなと思っています。欲を言うと、例えばリーグ運営を正常化するためのノウハウを与えることは大事なんですが、最大の問題はそれを運用する人間がいないことです。そういう人をもっと(各国に)送り込めたら面白いだろうなと思います。それこそ審判の質が明らかにJリーグより悪いので、定期的に審判講習会をやる、そういう日本がヨーロッパと定期的に行っているように、日本人の審判員を常駐させる取り組みができたら面白いのではと思います。
――日本ほどちゃんとした国はないと強調されていましたね
日本はいろいろな側面でちゃんとしていますよ。こちらでは、リーグが一回試合日程を組んでも、そのスケジュール通りにやるっていうのが奇跡ですからね(笑)。2日前くらいに試合がキャンセルとかありますから。(他の国でも)そういうことはありますよ。
――アジア戦略というと、どうしてもテレビ放映権などといったことが目立ちます
アジア戦略について、いろいろな方が理想論を語ることは誰でもできるんですよ。ただ、実現に向けて現地とのギャップがあります。その国の文化を踏まえたうえで、現地の人はそのゴールに持っていくプロセスを期待しているわけで、ゴールだけ突きつけられても、「だから何?」って思いますよね。そこまで持っていくための手段であり、協力、人的支援っていうのが必要であり、期待されてます。
アジア独自の文化を取り入れたクラブ作りを
正直な話、あまり見られていません。人気はイングランド・プレミアリーグがぶっちぎりで一番です。ACLで対戦する時に見るくらいじゃないですか。ただレベルが高いっていうのは認識していますね。でも、ACLに出て、やっぱりJリーグって勝ってないですよね。結構皮肉を言われるんです。4チームも出していて全然優勝してないって。それを言われるとやっぱり耳が痛くなりますね。
ACLで勝つインパクトって、アジア中に認識されるチャンスなので、ビジネスチャンスになるはずだし、人的交流も、例えば対戦相手のところに行って話したりとか、どういうことをやっているかとか良い機会でもあるはずですが、それができていないように思います。
アジア戦略を通じて、今いろいろと(各国と)コミュニケーションを取っていると思いますし、これからかなと思っています。
――コンサドーレ札幌にベトナム代表のレ・コン・ビンが来たことで、サッカーファンのアジアサッカーに向ける注目も高まってきています
(ベトナムでの注目度も)高いですね。それこそアジア戦略が実った第1例だと思います。似たような事例で言うと、チョンブリでも今年、インドネシア代表のエースであるイルファン・バフティムという選手を獲得しました。インドネシアでは国民的スターの選手です。彼は実力があるし、ビジュアルもいいし、人もいいので、世界的企業のCMに出ていたんですよね。そういう選手が活躍できたら、様々なスポンサーから声がかかります。それに、もし日本企業が現地に進出しているのであれば、彼を使って広告を打つこともできるのではないでしょうか。実際にインドネシアから多くの取材陣が訪れ、実現はしませんでしたが、スポンサーの話も出ました。ユニホームの仮発注が数百枚来たりしましたね。
――最後に聞かせてください。今後はどのような取り組みを行っていきたいですか?
とりあえずは自分がクビにならないようにスポンサーをつけることですね(笑)。でも新しいアカデミー施設を作っていますが、それがもうスタジアム付きで芝生が4面、人工芝が1面、あと宿泊施設という形で、国際大会が多く開催できるようになります。そこで新しいビジネスモデルを考えたいなと。作ったものに対して、利益を上げられるような収益構造を作りたいですね。
今はクラブとしてアジアでナンバー1というより、ASEAN地域でロールモデルとなるクラブづくりを目指しています。東南アジアをステップに、こういうクラブになりたいなという目標になれればいいなと考えています。アジアはアジアで独特の文化があるので、その文化を反映したクラブづくりを目指したいですね。
<了>