ウズベクのサッカーが遂げた劇的な躍進=勝負強さ養うリーグ構成の仕組みとは

柴村直弥

セカンド選手のトップ起用は育成面を重視

若い選手たちがリーグで多くの実戦経験を積むことで、強化に成功したウズベキスタン。U−16アジア選手権ではアジアの頂点に立った 【写真:Landov/アフロ】

 トップチームの前日にセカンドチームの試合を行うことの目的としては、移動費の削減が挙げられる。

 前述の例でいうと、パフタコールはトップチームの試合のメンバー18人+セカンドチームから12、3人、約30人の選手たちで前日にアウエーの地へ移動する。
 そして、翌日の試合に備える12、3人(場合によっては11人)の選手たちを除く、18人がセカンドチームの試合に臨む。そのセカンドチームの試合に出場、またはベンチ入りした18人の内、翌日のトップチームの18人のメンバーに入る5、6人の選手たちが試合に備えて合流する。残りの選手たちはそのままホームタウンへ帰るという形である。
 どちらにしても前日の内に、アウエーの地まで18人の選手たちが必ず移動するのだから、それを利用してセカンドチームが試合のために費やす移動費を削減しているというわけだ。

 ただ、これにはいい面ばかりではなくリスクも伴う。

 セカンドチームの試合は控えの7人の選手全員が交代できるため、翌日トップチームの試合のベンチに入る選手は前半、もしくは後半のみの出場になることが多い。しかし、セカンドチームの監督も当然試合に勝ちたいため、場合によっては出場時間がかなり長くなることもある。昨年もセカンドチームの試合で90分フル出場して、翌日のトップチームの試合のベンチに入り、かつ後半途中から出場した選手もいる。また、トップチームの試合のメンバーに入る予定だった選手が、セカンドチームの試合でけがを負ってしまい、前日に帰らざるを得ない状況になったこともある。もっとも大事なトップチームの試合に影響する恐れがある中で、セカンドチームの試合に誰を起用するかという判断は難しいところだ。それも踏まえた上で試合経験を多く積ませ、育成させるという点を重視している部分は特徴的である。

 これによりセカンドチームはトップチームと同じ年間に26試合(14チームで2回戦総当たり)を行う。トップチームのサブの選手たちが多く出場することで、セカンドチームの選手たちの出場機会が減ってしまうことを懸念するかもしれないが、前述したようにセカンドチームの選手たちは3軍の2部リーグの試合に出場することもできる。

実戦経験で若いうちから身につく勝負強さ

 ウズベキスタン2部リーグは、全24チームで構成され、東西12チームずつに分かれてまずはホーム&アウエーの22試合が夏前までに行われる。そして東西の上位6チーム、下位6チームずつで分かれ、再び12チームによるホーム&アウエーの22試合を行う。上位リーグの1位と2位が翌シーズンに1部リーグへ昇格ができるといった仕組みであり、試合数は年間で44試合とかなり多い。そのため、セカンドチームの選手たちと3軍の選手たちも出場機会が多く得られるということだ。

 さらにはウズベキスタン2部リーグも1部を戦うチームの3軍だけで構成されているわけではなく、1部から落ちてきたチームや1部昇格を狙ってフルメンバーで戦っているチームもある。そのようなチームと年間を通して真剣勝負ができるということも10代の選手たちの成長に大きく影響を与えていると言える。

 このようにウズベキスタンの若い選手たちは、公式戦で実戦経験を積む機会が多くあることによって、若いうちから勝負強さが身についているように感じる。

 1対1で負けない個の強さや球際の厳しさは目を見張るものがあり、昨年行われたU−19アジア選手権でもそれらの部分で相手を圧倒。激しいプレーと球際の強さはおそらく大会ナンバー1だったのではないかと全試合を見ていて感じた。

 近年のウズベキスタンサッカー躍進の要因をリーグの構成から書いてきたが、特徴的なのは、トップチームで出場機会にあまり恵まれない若い選手たちに実戦経験を多く積ませることを重視している点である。これらのシステムを日本でも導入すればいいかと言えば、それほど単純な話ではないが、躍進を遂げているこのウズベキスタンのような例が今後、日本の環境や日本人の性質にあったシステムを構築していく上で少しでもヒントになれば幸いである。

<了>

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著者プロフィール

1982年生まれ。広島市出身のDF。広島皆実高から中央大へ。卒業後はアルビレックス新潟シンガポールでプレーし、Jリーグではアビスパ福岡でプレーした後、徳島ヴォルティスでは主将を務め、ガイナーレ鳥取、藤枝MYFCでも活躍し、2011年ラトビアの強豪FKべンツピルスへ移籍。同年のUEFAヨーロッパリーグでは2回戦、3回戦の全4試合にフル出場した。日本人初となるラトビアリーグ及びラトビアカップ優勝を成し遂げ、国内2冠を達成。翌年のUEFAチャンピオンズリーグ出場権獲得に大きく貢献した。国内リーグ最多優勝並びにアジアで唯一AFCチャンピオンズリーグ(ACL)全大会に出場しているウズベキスタンの名門パフタコールへ移籍し、ACLにも出場。熱烈オファーを受け、同リーグのFKブハラへ移籍。同チームでも主力として活躍し、2シーズンに渡り公式戦全試合に出場。14−15シーズンからはポーランドのOKSストミール・オルシティンでプレー

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