不完全燃焼を続けるフランス87年組=さまよう黄金世代に開花の時は来るか
10年W杯で崩壊した人種融合の神話
右からメネズ、ナスリ、ベンアルファ 、ベンゼマの87年組は、才能をたたえられながらもいまだにその力を発揮しきれているとは言い難い 【写真:PanoramiC/アフロ】
しかし、黄金世代と呼ばれたこの1987年生まれの神童たちは、いまだ不完全燃焼を続けている。26歳の年を迎えた今、彼らはその過程でこそ17歳以下のユーロの優勝という成功を収めたが、いまだ100パーセントの開花を遂げられず、ピッチ外での醜聞のほうで新聞を騒がせているのだ。
この現象は、今フランスで社会問題となっている、移民系の若者たちの堕落ぶりと多少なりとも結び付けられている。戦後に労働力として主に北アフリカから呼び寄せられた移民たちは、フランスのために身を粉にして働いた。その様子を見て育ってきた二世、つまりジネディーヌ・ジダンの年代は、程度の差はあれ、目上の者への敬意と勤労の美徳を知る世代だった。
現在問題となっているのは、そのような過去を知らないそのあとの三世、四世の世代であり、その多くが敬意や礼儀という言葉を知らないごろつきとなって、各地で問題を引き起こしている。都市の郊外では車やバスが焼かれ、マルセイユの郊外ではマシンガンの乱射もそう珍しくない。
そして、程度の違いはあれ、それに似たことがサッカー界でも起きた。フランス代表の98年ワールドカップ(W杯)優勝は、「人種融合がもたらした勝利」として大いにもてはやされた。実際、ベンアルファの世代は、W杯優勝で人種混合の力に確信を持ったフランスサッカー協会が、移民系スカウトに力を入れた育成を行った時代の産物だったのだ。しかし、人種融合の神話は、10年W杯での練習ボイコット事件と、そこで明るみに出た次世代の選手たちの不品行によって、無残に崩されたのである。
10年W杯でのニコラ・アネルカの暴言以来、12年ユーロで起きた、ローラン・ブラン監督へのベンアルファの失言、ナスリの問題行為など、選手の分別のなさを浮き彫りにする事件が相次いだ。この一件が、フランスで問題視されつつあった社会問題と相まって、周囲の過剰反応を引き起こしたきらいもあるが、神童とたたえられて育った87年組に共通しているのは、彼らが慎ましさを欠き、過去の評判に見合う力を発揮できていないという点だ。しかし、それぞれのケースは同一ではなく、彼らを一絡げにして悪者扱いするのはフェアなことではない。
暴言ですべてを台無しにしたベンアルファ
ユース代表とクラブの仲間で、同じく移民三世とくれば、ベンゼマとベンアルファは馬が合うと想像しがちだが、反対に、ふたりが犬猿の仲であることは周知の事実だった。一度、交代させられたベンゼマが、入場するベンアルファと目を合わせることすら避けたために、関係者内では有名だったふたりの不仲が、公衆の目にもさらされている。また、ベンアルファがセバスティアン・スキラッチと取っ組み合いのけんかしたことも有名だ。いずれにせよ、リヨン時代末期の彼は、敬意のないその傲慢(ごうまん)な態度ゆえ、ほぼ村八分状態だったと伝えられている。
マルセイユに移るや「正直、リヨンの全盛期の終焉(しゅうえん)は、中にいて予感できたよ」と悪態をつき、元仲間をいらだたせた彼だが、新クラブでも、一向に開花しなかった。自己中心的プレーのせいで定位置をつかめず、結局、当時の監督ディディエ・デシャンは性格的な問題も理由に放出を決意。しかしけが人が出て監督が前言を覆すと、今度はベンアルファの方が練習をボイコットして移籍を祈願した。
こうして、やはりけんか別れのような形で、移籍決定前にマルセイユから離れた彼は、ニューカッスルに移って少し息を吹き返したように見えた。移籍してまもなく故障に見舞われ、イングランドでの再出発は遅れたが、復帰後の2012年には「マジカル」「天才の輝き」とたたえられるゴールを挙げて、フランス代表にも復帰。しかし、ようやく上昇気流に乗ったかと思いきや、ユーロ2012で起きたローラン・ブランへの暴言が、すべてを台無しにしてしまった。
ユーロの一件は、ロッカールームでのミーティング中に携帯電話をいじっていたベンアルファを見て「ほかにやることはないのか」とブラン監督が叱咤(しった)したところ、ベンアルファが自分を起用しないことを責めつつ、「僕のプレーが気に入らないなら、本国に送り返せばいい」と言い返したというものだ。これには、「代表ユニフォームへの愛がない」と歴代先輩たちも激怒。そりが合わないデシャンが現監督である限り、彼が今後代表に復帰する可能性は、極めて低いと見られている。