不完全燃焼を続けるフランス87年組=さまよう黄金世代に開花の時は来るか

木村かや子

ナスリは代表復帰するも悪い印象は拭えず

5月に代表復帰を果たしたが、悪い印象のままのナスリ。プレーで周囲を見返すしかない 【Getty Images】

 ベンアルファがすでに代表の蚊帳の外になっているとしたら、今、代表復帰の是非で最も問題児扱いされているのが、ナスリだ。アルジェリアに源を持つことからやはりジダン二世と呼ばれていた彼は、先のユーロの敗戦後、インタビュー・エリアで取材記者に、かの有名な「売●の息子」という言葉を浴びせたかどで、3試合の出場停止処分を受けた。ありがちな“記者の完全無視”を決行したナスリに、大会中の彼の態度に辟易(へきえき)としていたAFPの記者が、「ならばとっとと消えろ」と一言。それに反応したナスリが、この暴言を吐いたのである。

 この背景には、代表でブランに「持てる力を発揮していない」と叱咤(しった)されてむくれていた彼が、不発の期間にメディアから批判されたことを根に持っていたという事実がある。ナスリはまた、ユーロのイングランド戦で同点ゴールを挙げたあと、メディアへのあてつけとして、「黙れ」という言葉を唇でマイムして、指を口に当てたのだが、これで余計に大きな反感を買ってしまった。

 実際、先の5月にデシャン代表監督がナスリを再招集したとき、新聞の反応は、「せっかくチーム内に和が生まれ、まとまり始めているときに、いまさらナスリを呼ぶ必要があるのか」という懐疑的なものだった。確かにフランス代表は、プレー面でナスリの不在を嘆いたことはなく、チーム内に良い雰囲気が生まれ始めていたところだった。そもそも、ユーロでのナスリの最大の罪は、記者を侮辱したことではなく、その尊大な態度で、特にチームの交代要員の間に険悪な雰囲気を生み出したことだと言われている。

 マルセイユで一軍デビューしたころの彼は、むしろ謙虚でひたむきな印象を与える少年で、実際、同クラブ時代に品行で非難されたことは一度もない。それが変わりだしたのは、アーセナルに移ってからだった。アーセナルに加入するや、すぐに多くのゴールを決め始め、フランスを出て急成長したという印象を与えていたのだが、これで同時にエゴも膨らんでしまったようなのだ。

 ナスリはアーセナルで、ウイリアム・ギャラスと頻繁に衝突した。ギャラスは自伝の中で、ユーロ2008の際に、バスの中でナスリがティエリ・アンリの席にぬけぬけと座り、席を明け渡すことを拒否したと明かしている。また12年ユーロでの一件のあとには、ほれ見たことかという口調で「あの事件は真のナスリの姿を見せている。奴は思い上がった若い選手の象徴だよ。選手が才能に恵まれていると、クラブは彼らをキープするためにどんなわがままも許してしまう。ちやほやする周りも悪いんだ」と歯に衣を着せなかった。

 ギャラスのほうもかなりのキャラクターの持ち主だが、これは彼一人の意見ではない。仏メディアもまた、ナスリがマンチェスター・シティに移る前、アーセナルのチームメートたちは、ナスリの謙虚さの欠如と狡猾(こうかつ)さにうんざりしていたと報じていた。

 結局けがで欠場となったものの、5月にユーロ以来初めてデシャン監督に招集されたナスリは、久方ぶりにテレビに登場し「記者の挑発に応じてしまったのは愚かだった。僕が犯した最大の過ちは、自分の非を認めるのに9カ月もかかったことだ。非を認めたことで気が軽くなったよ。愚かだったが、人間はああいう経験を通し成長するんだよ」と話した。

 しかし、一度ついてしまった悪いイメージはなかなか消えないもの。仏記者の中には、これを「代表に復帰するための狡猾な宣伝活動」と見る向きも少なくない。彼らは「復帰したての“明日”が問題なのではない。問題は、喉元すぎて熱さを忘れた“明後日”なのだ」としてナスリの代表復帰に眉をひそめている。

ピッチで真の開花を果たせぬままのベンゼマ

 一方、ベンゼマに関しては、問題の毛色が少し違っている。リヨンのユースからAチームに昇格した際に、先輩たちに自己紹介したベンゼマが、「あなた方のポジションを奪いに来ました」と言った逸話は有名だ。つまり根っからの自信家であることに間違いないのだが、前述のふたりと違い、ベンゼマはリヨンで押しも押されぬエース・ストライカーとして活躍し、しっかりした実績を残した。リヨン時代にウイングに布陣されたときに、不満をあらわにしたことはあるが、その傾向は最近いくぶん緩和されたように見える。何より、無礼な発言で問題を起こしたことは一度もない。

 ベンゼマの問題は単に、リヨンでの勢いをレアル・マドリーで再証明できていないという点だろう。クラブでレギュラーでないことが災いしてか、代表でもこのところゴール運に見放され、12年6月5日以来1000分得点なしという不名誉な記録を更新中。多くのアシストで得点に貢献してはいるのだが、ここ1、2年、リヨン時代のゴールへの嗅覚を失っていることは否めない。人々は代表戦のたびに、彼のスランプの深さを認識させられている。

 また彼は10年W杯前後に、未成年の売春婦と関わりを持ったかどで警察の審問を受けており、いくつかの醜聞にも不足はなかった。兄貴分のフランク・リベリーに誘われてパリのキャバレーに繰り出し、未成年とは知らずに関係を持ってしまった、というのが実際のところだとは思うが、W杯での醜聞で代表選手の評判がガタ落ちしただけに、「サッカー選手の堕落ぶり」に過敏になっていたフランスの人々は、この一件に無関心ではいられなかった。

 また、最近では、最高速度100キロの道路を200キロ近い速度でぶっとばし(216キロと194キロの二説がある)、免停だけでなく、実刑の危機にさらされるという事件もあった。結局、1万8000ユーロ(約234万円)の罰金を払うことで実刑判決は免れたが、これも、ピッチ上で不発の彼のイメージダウンを後押しする出来事だった。

 しかし、ベンゼマの場合、ピッチで勢いを取り戻すことさえできれば、問題は解決する。問いは、果たしてやってのけられるのか、ということだ。ベンゼマがレアル・マドリーに移籍したとき、当時のリヨン監督クロード・ピュエルは「フランスで井の中の蛙になる代わりに、ビッグクラブでもまれるのは彼にとって良いことだ」と言っている。マドリーでベンチに座るたびに仏メディアは騒ぐが、トップクラブでポジション争いにさらされるのはいわば当然のこと。上には上がいることを自覚しつつ、真の開花を目指して腐らず頑張りぬく以外に道はない。

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。マルセイユの試合にはもれなく足を運び取材している。

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