集客ワーストからの脱却はなぜ実現したか?<後編>=J2漫遊記 第4回・水戸ホーリーホック

宇都宮徹壱

このクラブには応援したくなるようなステータスがなかった

入団4年目となる元日本代表の吉原。柱谷監督の就任以降、チームは変わったという 【宇都宮徹壱】

 プロになりきれないままJ2に昇格し、最近になってようやくプロらしさに目覚めつつある水戸ホーリーホック。その影響を最も敏感に感じているのは、やはり選手たちである。吉原宏太は今年34歳。代表キャップを持つ吉原は、コンサドーレ札幌でプロとしてのキャリアをスタートさせ、以後はガンバ大阪、大宮アルディージャを経て、09年に水戸にやってきた。2年連続で大けがに見舞われたものの、持ち前の頑張りで回復し、今季は途中交代で起用されることが多い。そんな彼に、チーム内部から見たクラブの変化について尋ねてみた。

「(水戸に加入した当時は)アマチュアでしたね。大学生の集まりみたいな感じ。ユニホームも練習着もよれよれだし、ソックスも破けているみたいな感じで、プロのチームっぽくなかった。オレは見た目って大事だと考えているし、ファンもカッコ良くないチームを応援したくないと思うんですよ。そういうのって、ファンは見ている。やっぱり全員が同じ練習着を着てトレーニングしているほうがプロって感じでカッコいいじゃないですか。それを見て『よし、応援したろ』ってなると思うんですよ」

 クラブ内の停滞感というものは、ファンやサポーターにもすぐに伝わる。せっかく成績が上向いても、なかなか集客に結び付かなかった理由について、吉原は「応援したくなるようなステータスがなかった」ことを指摘した。

「(集客が少なかったのは)ダサいから(笑)。それに尽きるとオレは思う。弱いというのもあるかもしれんけど、このクラブには応援したくなるようなステータスがなかった。それが変わってきたのが、ケースタができたことで、ようやく水戸でホームゲームができるようになったこと。それと去年、柱谷(哲二)さんが監督として来たのが大きかったよね。そこから(鈴木)隆行さんの加入があり、市川(大祐)も来てクラブの資産価値が上がったように思う。今では練習着も、ちゃんとしたものを用意できるようになったし」

 水戸に来て今季で4シーズン目。今のクラブについて吉原は「オレが来たときと比べれば、J2のしっかりしたクラブというイメージになってきた」と期待を寄せている。では、水戸の強みとは果たして何なのか。最後に問うてみた。

「貧乏慣れしていること(笑)。でもそれって、大事だと思うんですよ。選手も自然とハングリーになるし、洗濯も自分でやるしね。オレはすぐ慣れましたよ、サッカーが好きだから。あと、ここの強みはファンとの近さかな。自分もほんまに水戸に来てから、ファンサービスは心掛けていますし、ある意味、友だちみたいに接していますね。最近では街で声を掛けられることも増えましたよ」

J参入13年目にして迎える「Jリーグ元年」

水戸のチャレンジはまだ始まったばかり。ケースタが満員となるのは、いつの日か? 【宇都宮徹壱】

 あらためて「なぜ、水戸の入場者数は伸びているのか」という、当初の問題提起に立ち返ることにしたい。水戸市との連携が強まり、広報や運営などで協力体制が敷かれるようになったこと。そしてチームも、プロとしてのステータスが高まりつつあること。今回の取材から、そうした経緯が大きく影響していることが理解できた。だが、よくよく考えてみれば「今までやってなかったことをやっているから」(高橋市長)というのが、より実相に近いように思える。それは水戸の沼田社長も素直に認めるところであった。

「水戸の強みは、ベースが低いことですかね(笑)。だからガクンと落ちようがない。今まで、何もしていなかったのが強み。ちゃんとすればどれくらい伸びるのか。それに向けてやることはたくさんあるから、淡々とこなしていくしかない。その意味で、伸びしろが日本一のクラブだと思っているんです」

 よそのクラブでは当たり前のことにようやく取り組み始め、それがダイレクトに入場者数の増加につながっている――。結局のところ水戸の集客増加の真相は、いささか拍子抜けするようなものであった。だが今の水戸の関係者からは、小さなステップアップを積み重ねながら自信を深めつつあるように見える。沼田はさらにこう続ける。

「経営についても去年、Jリーグからお借りした3000万円を返すことができたし、市からも500万円出資していただけることになりました。(スポンサーについても)謝り続けて3年もたつと応援する人も増えてくるのかなと。ですので、行政と企業と市民の三位一体が、ようやく今年から取れるようになりました。僕に言わせると、今季の水戸ホーリーホックは『復興元年』であると同時に、実は『Jリーグ元年』でもあるんですよ」

 J参入13年目の「Jリーグ元年」。これまでJリーグ参入はおろか、準加盟もなかなか認められない地方クラブの関係者であれば「何という身も蓋もない言葉だろうか」と感じるかもしれない。とはいえ、水戸自身には罪はない。要するに12年前と今とでは「Jリーグを巡る状況が大きく異なる」という話に尽きるのだと思う。さらに言えば、プロクラブとしての体裁が整わないまま、Jリーグ参入を果たした水戸は「運が良かった」と言うよりも、むしろ時代に翻ろうされた「犠牲者」であったようにも、私には感じられる。

 気が付けば水戸は、J1未経験クラブの中で「最年長者」となってしまった。J2というカテゴリーからは、後にマンチェスター・ユナイテッドに移籍する選手や、クラブワールドカップ出場を果たすクラブが輩出される一方で、水戸のように試行錯誤を続けながらようやくプロフェッショナルに目覚めたクラブもある。とはいえ水戸の関係者は、J2での12シーズンについて、否定も卑下もする必要はまったくない。むしろ水戸がJ1昇格を果たした暁には、彼らの歩みは地方のJ2クラブにとって、貴重なロールモデルとなり得るのではないだろうか。

<この稿、了 文中敬称略>

(協力:Jリーグ)

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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