酒井宏樹、誰も予想できなかった急成長=ブラジルが認めた柏の右サイドバック

鈴木潤

昨季J2で出場したのはわずか9試合

この1年で大きな飛躍を遂げた酒井。Jリーグで、そしてクラブW杯で実力を証明した。世界へと羽ばたく日も近いか 【写真:杉本哲大/アフロスポーツ】

 サントスの来日とともに大挙したブラジルメディアは、柏レイソルというJリーグ王者に少なからず興味を抱いていたようだった。ブラジルでも名将として知れ渡るネルシーニョ監督が率い、ジョルジ・ワグネルという名手がプレーしていることが彼らの興味をひいたのだろう。それだけではない。豊田スタジアムのメディアセンター、あるいは名古屋へ移動するメディアバス内での、彼らの会話の中には、「サカイ」という若き日本人選手の名が頻繁に飛び交っていた。サントスが獲得に名乗りを上げたという日本人サイドバックが一体どんな選手なのか、あれこれ憶測を膨らましていたに違いない。

 酒井宏樹がこれほどまでの成長を遂げようとは、1年前には誰も予想していなかった。2010年のJ2では貴重なバックアッパーとして、要所ではそれなりに存在感を発揮していたが、シーズンを通じてみればわずか9試合に出場したのみ。試合後には決まって、「もっと積極的に上がれば良かった」「マークの受け渡しがうまくいかなかった。僕の責任です」など、反省の弁ばかりを口にしており、レギュラー獲得に至るまでにはもうしばらくの時間が必要だと感じさせた。

 柏の右サイドバックを務めていた小林祐三が横浜F・マリノスへ移籍した時も、その後任は村上佑介(現アルビレックス新潟)か、新加入の増嶋竜也が務めるかと思われていた。実際に2011年シーズンの開幕戦となった清水エスパルス戦では、酒井はスタメンはおろか、ベンチ入りすら果たしていない。

ポテンシャルは秘めるも「自信のなさ」が足かせに

 酒井は03年、中学1年の時に柏ジュニアユースに加入した。当時はスピードを生かしたサイドアタッカーで、右足から放たれる鋭利な高速クロスは天賦の才として、すでにそのころから備わっていた代物である。後にDFにコンバートされるのだが、そうしたアタッカーを務めていた経験からか、DFであるにもかかわらず、「守備は苦手なんです。攻撃面をアピールしたいです」と屈託のない笑顔で語るあたりに、彼の天然気質が表れていた。

 ただ、やはりポテンシャルはずば抜けたものを持っていた。高校2年の冬には2種登録選手としてトップチームに帯同するようになり、08年の高円宮杯全日本ユース選手権に出場した際には、抜群の身体能力とフィジカルコンタクトの強さを生かしたオーバーラップで、バッタバッタと相手選手をなぎ倒し、その夏のインターハイ王者である流通経済大柏高校のサイドを崩壊させたことがある。

 そんな高いポテンシャルを秘めていながら、ブレークまでに時間を要した原因はほかでもない、「自信のなさ」が足かせとなっていたからだった。09年6月からの半年間、ブラジルのモジミリンへ短期留学し、そこでのし上がろうとしているブラジル人選手たちの貪欲(どんよく)さから大きな刺激を受け、帰国後には「100%のアピールを見せる」と目の色を変えて練習に取り組んだ。だが、どうしても試合になると気が引けてしまう。象徴的だったのはスタメン出場を果たした昨年の天皇杯4回戦。「ガンバ大阪」という相手の名前に気おされ、前半は試合から消えてしまい、チームメートからは「前半、うちは10人だった」と冗談のネタにもされたほどだ。

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著者プロフィール

1972年生まれ、千葉県出身。会社員を経て02年にフリーランスへ転身。03年から柏レイソルの取材を始め、現在はクラブ公式の刊行物を執筆する傍ら、各サッカー媒体にも寄稿中。また、14年から自身の責任編集によるウェブマガジン『柏フットボールジャーナル』を立ち上げ、日々の取材で得た情報を発信している。

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