【柏レイソル】熊坂光希 大器ついに目覚めるか「2025Reysol Report Vol.2」

柏レイソル
チーム・協会

※リンク先は外部サイトの場合があります

 2月9日のちばぎんカップと、第2節まで消化したJリーグを含めて、レイソルが戦った3試合ではチームの完成度の高さに驚かされ、開幕前は今シーズンのレイソルに低い評価を下していた多くの識者たちが、手のひらを返すように今のレイソルのパフォーマンスを高く評価している。

 その3試合における、最大のサプライズと言ってもいいだろう。今年プロ2年目の熊坂光希がボランチの一角に定着し、攻守両面で好プレーを連発しているのだ。
 ルーキーイヤーの昨季はリーグ戦10試合の出場にとどまったわけだが、実は昨年のプレシーズンでも、井原正巳前監督やコーチングスタッフから高い評価を得ており、開幕前はチーム内でも関根大輝と並んで2024年のブレイクが期待される一人だった。しかしスタメンで出場したちばぎんカップで負傷し、そのケガが原因で開幕から大きく出遅れてしまう。復帰後は、低調なチーム状態も相まって、試合に起用されても爪痕を残せなかった。
 そんな経緯があるからこそ、熊坂は「今年はケガをしないこと」とシンプルな目標を掲げた。

【©️KASHIWA REYSOL】

 熊坂はレイソルアカデミー出身で、細谷真大と同期。ただ、2種登録選手として高校生の時点でトップチームの試合に出場していた細谷とは異なり、右膝半月板損傷という大ケガの影響もあり、熊坂はU-18ではAチームでの出場がほとんどなかった。
 ユース高校時年代では目立った功績を残せなかった熊坂だが、進学した東京国際大学で大きく変貌を遂げる。レイソルアカデミー出身とあって技術面や戦術面には確かな土台がある。そのうえで熊坂は、強度の高いサッカーを展開する東京国際大の環境に馴染み、実力を伸ばした。複数のJクラブが獲得に乗り出す有望選手となった熊坂は、最終的に自分が育ったレイソルを選んだ。

【©️KASHIWA REYSOL】

【©️KASHIWA REYSOL】

 今年のちばぎんカップでは、まだフィジカルコンディションが万全でなかったのか、61分で足を攣らせてピッチを退いたが、開幕のアビスパ福岡戦では攻守のつなぎ役として存在感を示しただけでなく、守備面では相手の攻撃のキーマン、ウェリントンを完全に封じた。
「試合を見ていただければ、彼がどれだけ素晴らしい選手かご理解いただけるでしょう。攻守に渡って貢献度が高く、素晴らしいプレーを維持している。攻撃はもちろんのこと、守備ではウェリントン選手をケアしなければいけない重要な役割もあったが、90分を通じて素晴らしいプレーをしてくれた」
 アビスパ戦後、リカルド監督は熊坂への賛辞を惜しまなかった。そして前節の川崎フロンターレ戦では、開幕戦以上の貢献度を誇示したのではないだろうか。熊坂は本来プレーエリアが非常に広く、プレースタイルは“ボックス・トゥ・ボックス”と表現される。現在は、攻撃面を自重しているというよりは、小泉佳穂、渡井理己、仲間隼斗と、シャドーのポジションに入る選手は機動力と運動量に優れているため、「自分が攻撃に出ていかなくてもいい状況になっている」と言い、主に中盤で全体のバランスを取り、ビルドアップとリスクマネジメントの面でタスクを遂行している。言い換えれば、彼はまだ秘めたるポテンシャルをすべて出したわけではない。

 本人が自分の性格を「おとなしい」と言うように、性格は控えめ。まだ遠慮があるのかもしれないが、ピッチ上でよりアグレッシブなプレーを発揮できるようになったときには、熊坂は我々をさらに驚かせてくれることだろう。

【文】柏レイソルオフィシャルライター:鈴木潤

【©️KASHIWA REYSOL】

  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

1940年に母体となる日立製作所サッカー部が創部、1995年にJリーグに参戦。1999年ナビスコカップでクラブ史上初タイトルを獲得。ネルシーニョ監督のもと、2010~2011年には史上初となるJ2優勝→J1昇格即優勝を成し遂げる。さらに2012年に天皇杯、2013年に2度目のナビスコカップ制覇。ホームタウンエリアは、柏市、野田市、流山市、我孫子市、松戸市、鎌ケ谷市、印西市、白井市の東葛8市。ホームスタジアムは、柏市日立台の「三協フロンテア柏スタジアム」。主な輩出選手は、明神智和、酒井宏樹、中山雄太。

新着記事

編集部ピックアップ

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着コラム

コラム一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント