元春高のヒロインがビーチに転向 宮川紗麻亜、太陽の下でのデビュー戦
八王子実践高時代は、春高バレーのアイドルとして、注目の存在だった宮川。ビーチバレーでの活躍も期待される 【写真:横山健太】
開幕戦となった「JBVツアー第1戦ファイテンビーチバレー東京オープン」は8日、予選会から勝ち上がってきた金田洋世・村上めぐみ(ともに上越マリンブリーズ)組が、昨シーズン年間チャンピオンの田中姿子(エコ計画)溝江明香(産業能率大)組を2−0で破り、初優勝を飾った。
3位には、今大会ワイルドカードで出場した保立沙織・宮川紗麻亜(ともに2Y&A)組が、山田寿子(FOVA/大樹測量設計)幅口絵里香(大樹測量設計)組を2─0で下し、初の表彰台に立った。
3位に入った保立・宮川組は、ペアを結成をしてまだ1年目。しかも、宮川はビーチバレーを始めておよそ半年の新人選手だが、大会初日から力強いスパイクを放ち、笑顔がはじけた。パートナーの保立は、初のJBVツアーで最終日まで勝ち残った宮川について、「技術的な部分はまだまだでも、サマー(宮川紗麻亜)は春高(全国高校バレー選抜優勝大会、以下春高バレー)の決勝という大舞台も踏んでいるので、場慣れという意味では心配していませんでした」と語る。
宮川は、10年前の春高バレーでヒロインとして輝きを放っていた逸材だった。
春高バレーは、毎年決まって有力校の中から将来性あふれるスターが発掘される大会だ。2000年の春、第31回大会でスターダムにのし上がったのは、若草色のユニフォームに身を包んだ八王子実践高の1年生エース・宮川だった。
1年時には準優勝、2年時には3位になった実績を買われた宮川は、V・プレミアリーグから誘いがあった。しかし、宮川が選んだのは、勉強とバレーを両立する大学進学への道だった。卒業後は、当時地域リーグに在籍していたグリーンサポートシステムズ(以下、GSS。現チャレンジリーグ)に入社し、仕事をしながらバレーに取り組んでいたという。
そんなある日、宮川はビーチバレーと出会うことになる。
「バレーはもうやり切った」とくすぶっていた宮川の魂に、再び火がついた瞬間だった。
すぐに本格的にやってみたいと思った
GSSのチームメートが遊びでビーチバレーをやっていて、『今度連れて行ってよ』と言って、08年にお台場のビーチバレー大会へ行ったのがきっかけです。そこで楽しいなって思って、リーグ戦がオフのときに息抜きでやるようになりました。
──いつ頃から、本格的にやりたいと思ったのですか?
やり始めてすぐに、いずれは本格的にやってみたいという思いを抱くようになりました。ビーチバレーは難しいんですけど、ちょっとした練習で上達していくのが楽しいなと思って。あと、もともと肌が色白なので、あえて黒くなりたかったんですよ(笑)
──今は、どんな生活を送っているんですか?
10年3月にGSSを退社して、5月から別の会社に転職して働いていました。そのときは、いずれJBVツアーに出たいというふんわりした目標があったので、大会に出てポイントを貯めていこうと思っていました。そんな矢先、トップクラスの選手として活躍している保立から「一緒に組んでほしい」と声をかけてもらって。「私なんかでいいの?」とビックリしたんですけど、まずは国内で勝つことを掲げてビーチバレーに専念することを決めました。今はスポンサーを探しながら、プロとして生活を送っています。