元NBAのスーパースター、トルコへ

山脇明子

瞬く間にスター選手へ

 元米プロバスケットボール協会(NBA)のスーパースター、アレン・アイバーソンがトルコのプロチーム(ベシクタシュ)と契約した。
 1996年のドラフトで全体1位指名を受けてセブンティシクサーズに入団し、たちまちリーグのスターとなったアイバーソンは、身長183センチながら特出した技術と不屈の精神力で、2000−01シーズンに最優秀選手(MVP)に選ばれ、リーグの得点王にも4度輝いた。01年にはチームをNBAファイナルへ導き、連覇を目指すレーカーズに敗れたものの、彼のプレーに現れる勝利への情熱に多くのファンは心を打たれた。

 このファイナル進出を決める前の東カンファレンス決勝で、こんなことがあった。
 7回戦制の同シリーズを1勝2敗とリードされた第4戦。接戦となった終盤に相手選手の厳しいディフェンスで歯が取れてしまい、出血した。だが、アイバーソンは口の中にたまってくる血を飲み込みながらプレーを続けたのだ。
 NBAでは、出血している選手はベンチに下がり、血が止まるまでコートに戻れないというルールがある。しかしアイバーソンにとっては、大事な局面に突入している試合で血が出ているからといって下がることなどできなかった。そこで審判に血が見られないように、血を飲み込みながらのプレーを続け、その後もシュートを決めるなどでチームを勝利に導いたのだ。

選手生命を縮めた「問題発言」

 アイバーソンはスーパースターながら、非常に素直であるため多くのメディアはアイバーソンに好意的な印象を持っている。だが自分の飾り方を知らないために、「たがが練習」と発言するなど、彼の言動はしばしば「問題発言」として取り上げられた。
 アイバーソンのNBA選手としての寿命を縮めたのも、彼の「問題発言」が原因だと私は理解している。

 低迷期に入ったシクサーズでトレードを志願したアイバーソンは、06年12月にナゲッツにトレードされたが、チームを著しく強くすることはできず、08−09シーズン開始早々にピストンズへトレードされた。だが、シーズンが深まるにつれチームでの存在感が薄れ、2年目のロドニー・スタッキーに先発の座を奪われた。そして「先発でないのならば、引退したほうがまし」と発言してしまったのだ。
 フリーエージェントとなった翌シーズンは優勝を狙えるチームには程遠い、若手中心チームのグリズリーズに入団したが、ここでも先発ではないことに不満をこぼし、結局3試合に出場しただけでチームを去った。その後古巣のシクサーズに戻り、今度は大きな問題を起こすこともなくプレーしていたが、家族の問題を理由にチームとの契約に終止符を打った。

 今年35歳になったアイバーソンに全盛期ほどの俊敏さはないかもしれない。しかしアイバーソンの技術と精神力と、そして14年の間に培った経験は、多くのチームにとって魅力なはずだ。
 だがこのオフ、NBAチームから契約の申し込みはなく、トルコでプレーする道を選んだ。同チームへの入団会見で、アイバーソンは、「僕の生活の一部であったNBAは今の時点では終わっているが、(トルコで)ベストを尽くす」と語った。
 彼の言う通り、「今」の時点では、NBAは過去のことだ。しかし、彼が言っていた「まだやり残したこと」や「応援してくれたファンに対して感じている借り」をトルコで見せることができれば、NBAをまた「今」に変えることができるはずだ。
 私自身も、「元NBAのスーパースター」と書くには、まだ早いような気がしてならない。

<了>
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著者プロフィール

ロサンゼルス在住。同志社女子大学在学中、同志社大学野球部マネージャー、関西学生野球連盟委員を務める。卒業後フリーアナウンサーとしてABCラジオの「甲子園ハイライト」キャスター、テレビ大阪でサッカー天皇杯のレポーター、奈良ケーブルテレビでバスケットの中体連と高体連の実況などを勤め、1995年に渡米。現在は通信社の通信員としてMLB、NBAを中心に取材をしている。ロサンゼルスで日本語講師、マナー講師、アナウンサー養成講師も務めている。

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