黒田博樹、「完全燃焼」のシーズンを終えて

山脇明子

ローテーションを守り、メジャーへ移籍してからは自己最多となる11勝をマークした黒田 【Getty Images】

 米大リーグ、ドジャースの黒田博樹投手の2010年シーズンが終わった。もともとあまり笑わない黒田であるが、今季は特にそれを感じさせた。普段からあまり喋らないが、さらに口数を減らした。

 ドジャースとの3年契約の最終年は最後までローテーション守りきった。長ければ5時間以上の飛行機移動、3時間の時差と大きな天候の違いの中を行ったり来たりという中、6カ月にわたって中4日を基本としたローテーションを守るということが、どれほど大変なことか想像できるだろうか? 
 黒田自身も「時差は自分で思っている以上に体が疲れるし、変化を感じる」と言っていたが、そんな中、35歳という年齢でローテーションを守り続けたのだ。
「ある程度の年齢になってこっちに来て中6日から中4日の調整になるので、1年目、2年目はそれに一番苦労した」と言う。だが3年目を迎えて「投げた次の日でもキャッチボールをしていて疲労感が少なくなってきた」と語るほど、適応してきた。
 本人は「半分意地みたいなものもあった」と言う。そしてその意地で、「けがをしないようにいろんなことにチャレンジしながら」シーズンを乗り切った。いかに今季にかけていたかが、しみじみと伝わったシーズンだった。

「心も体も、そして技術も」

 メジャーには、黒田を刺激する材料がたくさんあった。その一つが「高齢」でも一線で活躍している選手が多くいることだ。
 例えば、47歳のジェイミー・モイヤー投手(フィリーズ)。今年5月7日(現地時間)のブレーブス戦で完封勝利を挙げ、リーグの最年長完封記録を達成した。さらに6月5日のパドレス戦では2失点の完投勝利をマークし、40歳以降での100勝目を手にしている。
 この快挙に対し、黒田は「メンタル面と体力面であそこまで保つのは難しい。すごいこと」と感心したあと、こう言った。
「ピッチングスタイルとかタイプとか違うので何とも言いようがないけれど、こっちで一番感じたのは、『心・技・体』。心も体も、そして技術もすべてがそろっていないと長い間こっちでやっていくのは難しい。それは日本のプロ野球も同じだけど……。やはり技術だけでは残っていけないところだし、体も大事だと思うので。それにメンタル面もついていかないと大変かなとは思う」。

「33歳でメジャーに来て、自分はまだ若いと感じるか?」と聞くと、「日本だったらベテラン扱いされて老け込んでしまう部分があって、年齢的にそれで一気に終わってしまう感じがある。どちらかというとこっちの方が、気持ちが晴れやかに感じるんじゃないかな」と語った。
 
 実際に晴れやかに感じることができたかどうかは分からない。だが、黒田が3年前に決心したメジャー移籍は、野球人として正しかったことは確か。
 メジャーに移籍したことで、日本では味わうことのできなかった挑戦を強いられ、それをクリアしていくことができたからだ。中4日というローテーションを守り抜くコンディションの調整に成功したのもその一つだし、自らの投球を確立できたのも、その一つだ。

メジャーでの3年で幅を広げたピッチング

チームメートや観客から迎えられる黒田(8月30日のフィリーズ戦) 【Getty Images】

 09年に黒田は交流戦でマリナーズのイチロー選手と対戦し、今季は当時パイレーツに所属していた岩村明憲選手とも対決した。黒田との対決を終えて、二人は同じ感想を口にした。「あんなに変化球を投げるとは思わなかった」と。
 イチローは「日本人には珍しいパワーピッチャーというイメージだった」と言う。だが黒田がメジャーで強打者を相手に勝負を制してきたのは、動く球を磨き、進化させたからだ。特に今シーズン後半は、カットボールも有効に使うなど、打者との対決をdominance(支配)する場面が目立った。

 黒田の口癖は、「その日の投球は、実際にマウンドに上がってみないと分からない」である。
 その日の体調、気分、天候、マウンドの様子、すべてが投球に影響する。試合直前のブルペンでは好調と思っていても、実際にマウンドに上がると違うこともある。
「バットに当たると何が起きるか分からない」と黒田は語るが、そんなメジャーの打者を相手にするには素早い対応が迫られる。動く球を幅広く身につけ、何が有効かを認識することで、その解決法を見いだしたのだ。
 1、2年目は、対応しなければならない課題が多くのしかかった上、故障で戦線離脱も強いられた。だが、契約最終年の今シーズンは投手としてレベルアップし、いくつもの挑戦に打ち勝つ必要があった。

 だからこそ、笑顔を見せず、口数も減るほど野球に集中した。そしてそれが3年間を振り返って「完全燃焼できた」と堂々と言えるほどの結果につながった。

 黒田の去就をめぐっては、さまざまな報道が流れているが、シーズンを終えた時点で本人は「白紙」を強調している。
 ただ、今後メジャーに残るにしても、日本に戻るにしても、変わらないことがある。「自分としては、(今後も)進化していきたいと思うし、まだまだいろんなチャレンジをしていきたい」。

 「心・技・体」、すべてがそろっている限り、黒田の挑戦は続く。30代後半に突入しようとも――。
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著者プロフィール

ロサンゼルス在住。同志社女子大学在学中、同志社大学野球部マネージャー、関西学生野球連盟委員を務める。卒業後フリーアナウンサーとしてABCラジオの「甲子園ハイライト」キャスター、テレビ大阪でサッカー天皇杯のレポーター、奈良ケーブルテレビでバスケットの中体連と高体連の実況などを勤め、1995年に渡米。現在は通信社の通信員としてMLB、NBAを中心に取材をしている。ロサンゼルスで日本語講師、マナー講師、アナウンサー養成講師も務めている。

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