スタインブレナー氏の功罪とは!?=ヤンキース名物オーナーの記念プレート除幕式
そうそうたる顔ぶれが集った除幕式
ヤンキースタジアムに設置されたスタインブレナー氏を称える記念プレートとそれを見つめるマリアーノ・リベラ 【Getty Images】
20日、ヤンキース対レイズの試合前に行われた除幕式には、球団経営の後を継いだスタインブレナー・ファミリーに加えて、ヨギ・ベラ、ロイ・ホワイトらヤンキースOBが多数参加したばかりでなく、バド・セリグ・コミッショナー、この日試合のなかったドジャースのジョー・トーリ監督と次期監督に決まったばかりのドン・マティングリー・ベンチコーチもロサンゼルスから飛んでくるという盛大なもので、スタインブレナー氏の影響力をあらためて実感させた。
クリーブランドで造船業を営んでいたスタインブレナー氏が、3大テレビネットワークのCBSから1000万ドルでヤンキースを買収したのは73年1月のことである。当時のチームは長い低迷期にあり、今では信じられないことだが、スタンドには空席が目立ち、昔日の面影はなかった。人気面でも69年に誕生したメッツに押されるようになっていた。
その名門を復活させた牽引(けんいん)車は紛れもなくスタインブレナー氏だ。オーナー職にある間、ヤンキースは地区優勝16回、リーグ優勝11回、ワールドシリーズ優勝7回を成し遂げた。
「ヤンキースを持っているということは、モナリザを所有しているようなものだ」と、80歳で亡くなったオーナーは、世界の名画を引き合いに出して価値の高さを語ったことがある。確かに、その通りかもしれない。また、そこまで価値を高めていったという強烈な自負もあった。しかし、そこに到達するためには強引な手段もたびたび使った。
「金も出すが口も出す」
スタインブレナー氏は、特にオーナー初期のころに口癖のようにいっていた。時代は、こういう人物を待っていたのかもしれない。FA(フリーエージェント)時代の到来。戦力、人気両面での大幅アップを図るために74年オフのキャットフィッシュ・ハンターを手始めに、ビッグネームを高額で買い漁る。そうやって、77年、78年のワールドシリーズ連覇を勝ち取る。その凄まじいまでの札束攻勢を非難する『ペナントは金で買えるのか』という本まで出版されたこともある。しかし、優勝を金で買えることもあれば、同時に買えないこともあるのだということを証明してきたのもスタインブレナー氏だ。勝てなくなれば手当たり次第にクビを斬(き)りまくった。監督、GM、投手コーチにとどまらず、広報担当まで毎年のように解任した。何しろ、ランチの注文を聞き違えた秘書をその場でクビにしたこともある人物だ。「金も出すが口も出す」のである。
ヤンキースにとって79年から、トーリ監督を迎えて18年ぶりにワールドシリーズでの復活優勝を果たすまでの間は暗黒時代といってもいいかもしれない。スタインブレナー氏は10年契約したデーブ・ウィンフィールドの契約見直しを画策し、そのためにギャンブラーを雇い入れ、身元調査を命じたことで一時は永久追放処分を受ける不名誉な事態も招いた。
この10年余り、スタインブレナー氏は体調不良もあって、表舞台に姿を見せることは少なくなっていた。しかし、皮肉にもチームは安定した強さを発揮するようになり、デレク・ジーター主将を中心にしたチームは「黄金期」とも呼べる時代を築いてきた。昨年は念願の新球場をオープン、そして記念すべき年に21世紀に入って初めてのワールドシリーズ優勝を果たした。
「自分にとって、オーナーというよりは友人のようであり、また父親のような存在だった」と、ジーターが沈痛な表情を浮かべて語ったのは、スタインブレナー氏が亡くなった日のことだった。あれから2カ月余り。低迷していたジーターの打撃もようやく本来の状態に戻り、ヤンキースはワールドシリーズ2連覇に向けて力強い歩みをみせているように感じられる。
名門をよみがえらせたスタインブレナー氏は球界の活性化に大きく貢献する一方、選手年俸の高騰、テレビ放映権の急騰、そして入場料の大幅アップの原因を作った人物でもあった。功罪相半ばするもう一人の伝説の男――。その“大き過ぎる?”プレートの前で、ヤンキースナインは栄光のトロフィーをかざすことができるだろうか。
<了>
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