A・ロッド、史上最年少600号の光と影
計り知れない可能性を持っていた若手時代
600号本塁打を達成し、声援に応えるA・ロッド 【Getty Images】
取材をしていて、いつまでも記憶にとどまっているシーンや、言葉というものがある。そのひとつがA・ロッドを初めて取材した1996年、ヤンキー・スタジアムとフェンウェイ・パークで2日続けて見たセンターへのマンモス級のホームランだ。まだ20歳、マリナーズ期待の若手でメジャーフルシーズン1年目のことだ。
「ヤツの可能性は計り知れない」
試合後、当時のマリナーズ監督、ルー・ピネラ(現カブス監督)の発したひと言が今でも耳に残る。強烈なインパクトだった。だから、その年ヤンキースのレギュラー遊撃手の座についたデレク・ジーターとともに、特別の注意を払って見てきた。
確かに、A・ロッドはその素質を見事に開花させた。そして、その結果として、2000年にはプロスポーツ史上最高の10年2億5200万ドル(当時のレートで約280億円)という途方もない契約をレンジャーズと結んだ。この金額については意見の分かれるところだろうが、あの時点のA・ロッドには少なくても史上最高額をオファーされるだけの価値は十分にあるように感じられた。
01年のスプリングトレーニング。アリゾナはイチローを追う日本メディアで大フィーバーしていたが、フロリダではA・ロッドを迎えてレンジャーズのキャンプ地ポートシャーロットが沸き立っていた。キャンプ初日の会見には200人を超えるメディアが殺到した。それだけの人数を収容できる会見場所がなく、メイン球場のベンチ上にイスを置き、集まったメディアは客席に座るという珍妙な形で行われた。
「常に謙虚な気持ちでプレーしたい」と、A・ロッドは何度も繰り返していたのが印象的だった。
「単なる数字」という声も
その間、いわゆる暴露本などでヒト成長ホルモンの使用疑惑や、MLB機構が薬物規定を設け、罰則を与えるようになった05年以降(それ以前は不問に付していた)の使用も取沙汰された。だが、そのことに明確に答えようとはしないまま現在に至っている。
35歳と8日での600号到達は、ベーブ・ルースの36歳と196日を抜く最短記録である。通算500号を達成した日から、ちょうど3年で大台に乗ったことを考えると、700号が達成されるのは2013年が有力だ。そして順調に行けば、バリー・ボンズが持つ762本のメジャー記録を抜くのは、A・ロッドが41歳になる2015年ということになる。
「間違いなく特別な数字だよ」と、599号から12日間もかかって600号にたどり着いたA・ロッドは言った。
しかし、こんな感想を漏らした人物もいる。ヤンキース時代に完全試合を達成したことのある、一言居士として知られるデービッド・ウェルズだ。
「オレは打者、投手を問わず、記録をつくった選手を称賛する。でもな、汚い手を使うヤツのつくった記録は単なる数字にしかすぎねぇ」
A・ロッドに8本のホームランを打たれた投手だが、悔し紛れのセリフと単純に片付けられないものがある。新記録を達成する日がきたとき、人々は心から喝さいを送るのだろうか。
<了>
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