K−1煽り映像への情熱を語る(1)――佐々木敦規氏 「こんなに素敵な選手たちを、みんなに伝えたいと思いました」
K−1映像チームの“巨匠”こと、佐々木敦規氏 【(C)FEG Inc.】
ストレートな表現で勝負したい
いやいや、僕なんか。そんなインタビュー受けるような立場ではないですけど……。お手柔らかに(笑)。
――佐々木さんが手がけたK−1のプロモーション映像で、とくに印象に残っているのは、昨年のWGP開幕戦のトレーラーです。バダ・ハリの反則から入り、彼の心の葛藤を描き、そして絶妙なタイミングで立木文彦さんの名調子が入ってくると。さらには、セーム・シュルトが叫び声をあげ、アリスター・オーフレイムがハンマーで自転車を壊す。まさに巨匠の味があります
僕は単純な人間なので、ストレートな表現で勝負することが好きな性格なんですよね。
――佐々木さんがK−1と関わるようになった経緯は、どういう流れがあったのでしょうか?
元々は、バラエティ番組中心のディレクターだったんですけど、料理番組を担当していました。フジテレビの『郁恵のお料理がんばるゾ!』という番組だったんですけど、3分間で料理をするというコーナーでした。91年から始まった番組で、最初はADで、途中からディレクターとして担当させてもらいましたね。その時、スタッフと休憩時間に、よくプロレスの話とかをして盛り上がっていたんです。
95年からK−1を取材することに
好評を博したK−1 WGP開幕戦(2009)のオープニングVTR 【(C)FEG Inc.】
それで当時の編成担当が、清原邦夫さん(のちのフジテレビK−1番組担当プロデューサー)だったんです。当時、僕が所属していたディ・コンプレックスという会社の社長が、清原さんと仲が良くて、“佐々木はプロレス好きなんですよ”と話してくれていたみたいで。ちょうど93年からK−1が始まって、清原さんは“これをどうしたらゴールデンのソフトになるか。どうしたら一般大衆に向けた番組を放送できるようになるか”を模索し、ブレーンを探していた時期でした。
――K−1の制作チームを集めようとしていたわけですね
普通のテレビ局のプロデューサーと違って、編成というのは、制作ブレーンが少なかったんですね。番組を持っているプロデューサーは、制作会社とかフリーのディレクターを多く抱えているんです。でも編成の人は、そういう付き合いが少ないんですよ。そんな中で、社長と清原さんが相談して、僕を推薦してくれたんです。93、94年は制作会社を入れずにK−1の中継をしていたみたいですが、96年の4月から格闘技番組『SRS』が始まることになりました。その準備段階として、95年の暮れに、清原さんから「ちょっと手伝ってくれないか?」と具体的な相談があって、二つ返事でやらせてもらうことになりました。