“和製アンリ”伊藤翔の現在地=グルノーブルでのブレークへ、4年目の挑戦

木村かや子

昨季後半の伊藤に何があったのか

グルノーブルでのリーグ1デビューを狙う伊藤(右) 【木村かや子】

 ランニングから戻ってきた伊藤翔は以前より大きく、たくましく見えた。細かった体も、フランスリーグの当たりの激しいサッカーにもまれてすっかり頑強になり、隣にいたチームメートのソフィアン・フェグリが華奢(きゃしゃ)に見える。21歳以下フランス代表のフェグリも彼と同年代の若手ホープだが、昨シーズンは出場機会に恵まれなかった。

 リーグ1残留への必要性から、昨シーズンのグルノーブルは、主にフランスリーグでの経験が豊富なベテラン選手を重用し、チームには30歳を超える選手がかなりいた。その分、若手起用の機会は減ったが、伊藤の前向き思考は変わらない。
「サッカー選手は、ピッチに入れば若かろうが年を取っていようが関係ない。自分がやり得る最大のパフォーマンスをできるよう準備していくことが大事なんじゃないかと思います」と彼は言う。
 マンチェスター・ユナイテッドのアレックス・ファーガソン監督が言った「十分にうまければ、十分な年齢だ」という文句は有名だ。あくまで明るく、弱音ははかず。若くして認められた才能と生来の楽天性を武器に、伊藤は今季もグルノーブルでリーグ1デビューを目指す。

「和製アンリ」と呼ばれた伊藤が、中京大付属中京高校からフランス・リーグ2のグルノーブル・フット38に渡ったのは、彼がまだ18歳の時のことである。あれから3年、21歳の誕生日を迎えた彼は、08年春にリーグ1に昇格したグルノーブルでレギュラーの座を目指しながら、ゆっくりと成長を続けている。ジュニア扱いだった初年度には1試合、翌シーズンには3試合と、トップチームでの出場試合数は少なかったが、その間もリザーブチームとCFA2(5部)のリーグで経験を積み、07−08年には下部リーグで10ゴール以上を挙げていた。

 しかし、昨シーズン後半にはリザーブの試合にも名を連ねず、トップチームでの試合数はゼロ。冬にはジェフ千葉への期限付き移籍の話もあったが、この話は結局流れていた。彼の身に何が起きているか分からないままに08−09年シーズンが終わり、今、リーグ1での2年目が始まろうとしている。

長引くけがに苦しめられた昨季

 夏の休暇を終え、グルノーブルのピッチに戻った伊藤は「もちろん、今年もグルノーブルで頑張ります。今季の抱負は、まず体を治して1日でも早く復帰すること」と笑顔で言った。というのも、彼の昨シーズンの大半は、故障との戦いに費やされていたのである。これを知ったのは、グルノーブルのバズダレビッチ監督が、「昨年の彼は多くの故障に悩まされ、力を見せるどころではなかった」と言ったためだった。だからリザーブの試合にも出ておらず、動向が分からなかったのだ。しかし本人は、「故障についてあまり詳細は言いたくない。現地の記者にも書かないでと頼んでいたんです」と言う。見たところ、その年齢にしてかなり信念の強いタイプだけに、故障を言い訳にしたくない、という思いもあったのだろう。

「多くの、というより、長い故障だった。一番深刻だったのは、今の、ももの裏の故障です。12月か1月くらいからずーっとだったので。でもいいドクターに見てもらって原因も解明できました」と彼はゆっくり話し始めた。「あまりに治らないので、4月ごろ、日本で診てもらうためクラブに帰国をお願いしたんです。それで原因を解明してもらい、こう治していこうという道を示してもらった。おかげで今は回復に向かっている最中です。きめ細やかに診てくださった日本のドクターに心から感謝しています」

 楽しみにしていたリーグ1の試合に出られなかったことにさぞフラストレーションを感じただろうと思っていたが、実際はそれ以前の問題だった。「けがでサッカーができない時間が長かったので、『何やってんだろ、おれ』と思ったことはありましたけど、落ち込んでも意味がないし、けがをしてしまったのは仕方ないことのなので、昨シーズンは早く治そう、ということしか考えていなかったですね」と振り返る。

「ほとんどけがが大部分を占めてしまったので、そういう意味では実がない1年でした。サッカーができないストレスはありましたけど、でも気持ちが落ち込むということはなかったです。もうやっちまったし、みたいな感じ(笑)。あとは前向きにいくしか方法はなかったですから」

 伊藤の口ぶりは実に元気がよく、つらさを押し殺している様子はうかがえない。彼が与える印象は、とにかく明るい、というものだ。
「フランスでは、楽観的じゃないとやっていけないんじゃないですか。みんなそんなに深く考えてもしょうがないよ、みたいな感じなので。僕ももともとそういう性格だったから良かったんじゃないかな」

 反対に、体に問題がなかった07−08年には、歯がゆい思いもしたという。
「いいプレーができていた時期もあったし、あの年にはやはり多少はフラストレーションを感じましたね。使ってほしい、使ってくれればできる、と思っていました」

 激しいフィジカルに加え、文化の違い、6時間のバス移動、日本と比べて柔らかすぎる芝……、未知だった経験を乗り越えた今、彼は自炊生活にも慣れ、フランスにすっかりなじんだ様子だ。「そういう文化の違いも経験だし、サッカー面も含めて多少なりとも成長していればいいなと思います」と伊藤は言う。

 フィジカルが強化されたことはその体を見ただけで分かるが、フランスで学んだことはそれだけではない。
「プレー面で学んだのは、“逆の突き方”かな。分かりやすく言えば、相手の意表を突くこと。体をこっちに向けてここに出すよ、と見せかけておいて、違う方向にボールを出すとか。そういう相手の裏をかくプレーが、やはりリーグ1になると必要なので、そのへんはうまくなったと思います」

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。2022-23シーズンから2年はモナコ、スタッド・ランスの試合を毎週現地で取材している。

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