“和製アンリ”伊藤翔の現在地=グルノーブルでのブレークへ、4年目の挑戦

木村かや子

絶対にグルノーブルでブレークするという決意

昨季はけがもあって試合出場がなかった伊藤。今季に懸ける気持ちは強い 【Photo:PanoramiC/アフロ】

 ところでわたしは昨シーズン、伊藤がチャンスを得られないでいた時に、実戦経験を積み、実力を披露するために、他クラブに期限付き移籍してもいいのでは、と思っていたことがある。アーセン・ベンゲルに見初められたという才能(伊藤はアーセナルのトライアルで認められ、ベンゲルは獲得を希望したが、高校生だった彼が代表出場数のノルマを課すイングランドの規定を満たしていなかったために労働許可証が降りなかったと伝えられる)を埋もれさせないためにも、人目につくところに出た方がいいという気がしたのだ。実際、彼にはここ2年、千葉のほか、フランスやほかの欧州リーグのクラブからもいくつか期限付き移籍のオファーがあったそうだが、本人がグルノーブルでやり続けることを望んだために話は流れていた。

 グルノーブルでゼネラルディレクターを務める祖母井秀隆氏は「わたしは、若い選手はプレーできるところにどんどん出た方がいいと思ったので、期限付き移籍のオファーが来たときには彼に話しました。でも彼自身がここに残ることを望んだ。それだけこのクラブを愛してくれているというのはありがたいことです」と言う。

 その決断は、グルノーブルでやっていく、という伊藤本人の強い信念に由来した。伊藤は理由をこう説明する。
「(期限付き移籍の)話はおととしもありましたし、昨シーズンにもあったけど、でも僕はここでやるので、と思っていました。グルノーブルでできると思っていたから、ここでやれるはずなのに外に出る必要はないと思ったんです」

 欧州では若手が実戦経験を積むために期限付きで他クラブに出るというのはよくあることだ。そうして自分の腕前を人目にさらし、キャリアアップを目指すのだが、祖母井氏は「でも、絶対にグルノーブルでブレークするという決意は、違った形での彼のハングリー精神なのです」と言う。こうと決めたら譲らない頑固さが、伊藤独自の強さでもある。彼の決意の強さを感じ取った祖母井氏は「だからわたしは今、彼が今季チャンスをつかんでトップチームで場所を勝ち取れるよう願うし、ただただ、頑張ってほしいと思っています」と話す。

スタメン奪取のために必要なこととは

 では、そのために伊藤は何をすべきなのか。けがを治すことが最初のステップだが、チームがリーグ1残留のために厳しい戦いを繰り広げる中で、若手がスタメンとして自分の場所を勝ち取るというのは、いずれにせよ容易ではない。ピッチ上での要求が非常に厳しいことで知られるミシャ・バズダレビッチ監督は、伊藤への要求をこう説明する。

「彼はもっともっと努力を積み、上達し、ガッツを見せなければいけない。ひとつのボールを取るために身を粉にして戦い、奮闘し、牙を丸出しにしてポジションに食いつくようなメンタリティーを見せてほしい。彼は順調に成長し、昨シーズンもいいスタートを切って、トップチームに非常に近づいていたのだが、そこで故障に見舞われてしまったのは残念だった。度重なる故障のせいで、それまでの勢い、弾みが断ち切られてしまったのだ。その間、トップチームはうまく機能していたので、(残留のために)とにかく勝ち点を勝ち取らなければならないわれわれにとって、変える理由はなかった。

 伊藤がけがから回復したらまたポジションをめぐる戦いが始まる。すべてはこれからだが、これまで見せてきたものだけではダメだ。純粋な才能、テクニック、戦術のセンスに関しては、彼はリーグ1でプレーするのに十分なものを持っている。しかし精神的などう猛さ、、絶対に勝つんだという意地という面ではまだ十分ではない。おれはおれの場所を勝ち取る、おれは監督に実力を見せてやる、おれはポジションを得るに値するんだ、というガッツ、反逆の精神が見たい。わたしは毎日毎日、1対1の対決に勝ち、練習で勝ち、試合に勝つという勝者のメンタリティーを要求する。このメンタリティー、気骨、ガッツの部分で彼はもっと上達していく必要がある。プロというものにはそれが必要なんだ」

 反面、監督は、自分が彼を戦力として考慮していないという説を否定した。「彼を起用していないのは、まだ彼が十分なものを見せていないからだが、もし翔が明日、それを見せれば、わたしはもちろん彼を戦力と見なす。わたしは皆を同等に考慮するんだ。年齢など関係ない」と指揮官は断言する。

 楽天性と反逆の精神。この一見相反するかに思えるふたつの資質は、深く結びついている。きっとできると信じていなければ、反逆のエネルギーも生まれない。現在、伊藤はフィジカルコンディションを上げるトレーニングに懸命に打ち込みながら、間近に迫ったボールを使った練習の再開を心待ちにしている。「やっぱりみんなが練習している風景を見るとサッカーをしたくなる。早くボールを蹴りたい。走るだけなんで、そろそろストレスがたまってきていますから!」と言う口調は、それでもやはり明るい。

「まずは体をベストな状態に持っていき、それからの目標は、とにかく試合に出ること。出るすべての試合で自分の最高のプレーができるようにすることです。目の前のことに集中し、1日1日を大切にやっていきたい」という彼には、道を切り開くための能力と「絶対にグルノーブルでブレークする」という強い信念がある。「これまで後ろ向きになったことはない。常に前を向いて、上を向いて歩こう状態です」。こう言う彼の最大の武器は、何よりこの決してめげない天真爛漫(らんまん)さなのである。

<了>

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著者プロフィール

東京生まれ、湘南育ち、南仏在住。1986年、フェリス女学院大学国文科卒業後、雑誌社でスポーツ専門の取材記者として働き始め、95年にオーストラリア・シドニー支局に赴任。この年から、毎夏はるばるイタリアやイングランドに出向き、オーストラリア仕込みのイタリア語とオージー英語を使って、サッカー選手のインタビューを始める。遠方から欧州サッカーを担当し続けた後、2003年に同社ヨーロッパ通信員となり、文学以外でフランスに興味がなかったもののフランスへ。2022-23シーズンから2年はモナコ、スタッド・ランスの試合を毎週現地で取材している。

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