新天地ベンフィカで輝きを取り戻したアイマール
ルイ・コスタの後継者として
ベンフィカでかつての輝きを取り戻しつつあるアイマール 【Photo:アフロ】
2008年7月16日、一見、ちょっと近所に散歩に出掛けてきますといった着の身着のまま、顔中に無精ひげをたくわえたアイマールは、ラフないでだちでリスボン空港に降り立った。待ち受けるポルトガルの報道陣のカメラの砲列に戸惑うアイマールの横で、スーツ姿のお手柄のSDこと、ルイ・コスタは、実に満足げな笑顔を浮かべていた。
01年に2400万ユーロ(約26億円=当時)という移籍金で、母国アルゼンチンの名門リバープレートからバレンシアへ鳴り物入りで入団した21歳の若者は、スペインでもその才能をいかんなく発揮。2回のリーグ優勝に貢献し、順風満帆とも言えるサッカー人生を歩んでいた。しかし、度重なるけがで5年後には1200万ユーロ(約17億円=当時)でレアル・サラゴサへ放出され、そして今季は、650万ユーロ(約11億円=当時)の移籍金で新天地をベンフィカへと求めた。
かつて、世界的名プレーヤーとしてのいすを約束され、甘いマスクで世界中のサッカーファンを虜(とりこ)にした男にとって、自分の商品価値を約4分の1まで下げて、欧州のメジャーではないポルトガルリーグへ移籍することは“都落ち”以外の何ものでもなく、本人にとっては大いなる葛藤があったことだろう。しかし、アイマールのベンフィカ入りを決定付けたのは、ルイ・コスタが移籍交渉でスペインへ飛ぶ前にアイマールに送った手紙の言葉だった。
「僕がベンフィカで着けていた10番の赤いユニホームは、君に着てもらいたがっているんだ。同じ“セザール”という名前(注:ルイ・コスタの本名はルイ・マヌエル・セザール・コスタ)を持つ者として、僕の後継者になってほしい」
ベンフィカの「10番」に向けられた批判
例年より暑さの残るリーグ戦開幕直前の8月、リスボンで練習に汗を流すベンフィカの“新しい10番”、アイマールの情熱はほとばしっていた。しかし、アイマールにとって今シーズンは最悪の滑り出しとなってしまう。昨シーズン傷めた恥骨炎が、サラゴサでのお粗末な治療でさらに悪化し、彼の持てる能力を十分に発揮できなくさせてしまっていたのだ。特にスピードとドリブル、アイマールのプレーで最も“売り”とされる能力である。
彼のピッチでのパフォーマンスは、事情をよく知らないベンフィキスタ(ベンフィカサポーター)を到底納得させるものではなかった。募る不信感、失望とともに「アイマールは過去の選手」「ベンフィカの10番は“ガイジン”には似合わない。永遠にルイ(コスタ)のものだ」、そんな批判がサポーターの間から聞かれるようになった。
しかし、キケ・フローレス監督は徹底してアイマールを擁護した。ポルトガルのスポーツ紙『ア・ボーラ』のインタビューでは、「彼には適正な治療が必要なだけだ。けがをしているにもかかわらず、相変わらずプレーは“大いなるインテリジェンス”にあふれているし、ベンフィカにとって欠くことのできない存在だ」とコメント。さらに、「スペインでのアイマールがトップフォームを維持していたのは、バレンシアでパコ・アジェスタランと一緒に仕事をしていた時だ。幸いにも今シーズン、ベンフィカにはそのパコがいるのだから何も心配ない」とも語っている。