新世代が担う鹿島の新たな“黄金時代”
サッカーJ1で2連覇を果たし、チャンピオンフラッグを掲げて喜ぶ鹿島イレブン=6日、札幌ドーム 【共同】
苦しいシーズンを乗り越えてのリーグ2連覇
「うれしい。ホッとしています」
この言葉が、今季を象徴している。J1はまれに見る大混戦。順風満帆(まんぱん)にシーズンを過ごしたチームはなく、苦しい時期をどうやってうまく乗り切るかがカギとなった。中心に据えてチーム作りを進めたFWが、シーズン途中で海外に移籍した。司令塔が、病魔に襲われて欠場した。監督が途中交代、あるいは更迭された――。今季はどのチームにも、何かしらの問題が降りかかった。鹿島の場合は、内田篤人と小笠原満男という主力選手の相次ぐけがである。
今季序盤、ロケットスタートを切った鹿島は、昨季の勢いそのままに5連勝を飾る。主な補強は伊野波雅彦1人にとどめ、チームの完成度をより高める方針が当たった。しかし、リーグ戦とAFCチャンピオンズリーグ(ACL)が同時進行するようになると、次第に連戦に苦しむようになる。
そして4月9日の北京国安戦では、内田がパスを出した際にアフターチェックを受け、腰骨を骨折。戦線離脱を余儀なくされた。20歳と将来有望で、さらには日本代表でも右サイドバックを務める内田。すぐさま、そのバックアッパーを補強できるはずもなく、本来別のポジションの伊野波や中後雅喜が右サイドで起用された。とはいえ、もちろん内田と同じようなプレーは望めない。自慢のサイド攻撃の威力は減退し、ついには5戦連続未勝利と、序盤の貯金をすべて使い果たす苦境に追い込まれた。
内田2度目の離脱、そして小笠原まで……
中断明けからは、チームの運動量も回復し、相手チームを凌駕(りょうが)する試合を見せていた。しかし夏前には、復帰した内田が北京五輪で脇腹を負傷。またも鹿島を苦境が襲う。しかしこの時は、増田誓志がその穴を埋めた。8月16日の第21節、東京ヴェルディ戦では、常に仕掛ける姿勢を見せ、攻守に1対1が要求される鹿島のサイドバックを見事にこなして勝利に貢献した。
「高い位置にもっていくことは、絶対にやろうと思っていました。それが自分のできることというか、僕は(内田)篤人みたいなプレーはできないので。『チャンスは今日まで』という思いがあったので、強い気持ちで臨めました」(増田)
こうして、内田不在の問題にひと区切りついた鹿島だったが、そこにさらなる激震が走る。大黒柱の小笠原が、第25節(9月20日)の柏レイソル戦で、左ひざ前十字じん帯損傷および半月板損傷という重傷を負ってしまったのだ。もちろん、今季絶望である。その直後、チームはオーストラリア・アデレードに向かい、ACL準々決勝第2戦(同24日)を戦うも、0−1で敗戦。主将を失い、さらには今季一番の目標としていたACLでの敗退も決まり、チームは失意のまま帰国の途に就いた。
小笠原不在で戦い方を変えた鹿島
小笠原という稀代のゲームメーカーを失った鹿島は、戦い方を変えながら勝利を積み重ねた 【写真は共同】
「満男さんは、後ろからのビルドアップが多彩。1人でゲームを組み立てられるので、そこに一度ボールを預ける、というのがチームのスタイルとして成立する。ただ、満男さんがいなくなると、それではうまくいかなくなるし、僕が代わりに入っても、まだ満男さんのようなゲームコントロールはできない」
そこで中後は、自分のできることを模索する。
「アデレード戦のときには、監督から明確な指示がありました。僕が後ろに残ってボールをさばいて、青木(剛)が前に出て行くということです。アデレード戦は負けてしまいましたが、自分としてはそんなに悪いプレーではなかった。そのあと日本に帰ってきて、直後の清水戦(9月28日)では、いいプレーができた。結果も出たことで(2−0)自信になったし、これでいいんだという手ごたえも感じられました」
帰国直後の第27節・清水エスパルス戦は、相手が手も足も出ないくらいの完勝。長谷川健太監督も、後日「完敗」と認めたほど圧倒的な内容だった。前線からのプレッシングが90分間継続し、前半で2点のビハインドを負った清水が、後半に放ったシュートはわずかに2本だった。そして、この試合での勝利がターニングポイントとなる。
この勝利を含め、優勝するコンサドーレ札幌戦までの9戦のうち、7戦で無失点。DFラインを統率した岩政大樹は、チーム全体での守備が奏功したと言う。
「無失点はDF陣だけじゃなく、満男さんが抜けたあと、全員でハードワークすることを思い出す必要があった。去年のような、ハードワークを受け入れる耐性ができた。後ろからも『もっと走れ』と要求できるようになったと思う」