フラッグディールがつなぐ「見果てぬ夢」=MLB名人物ファイル
ジュニアが超えられないシニアの実績
ホワイトソックスに移籍したグリフィー。果たしてチャンピオンリングを手にすることができるのか? 【Getty Images/AFLO】
このうち、ラミレスはレッドソックス(2004、07年)で、“パッジ”ことロドリゲスはマーリンズ(03年)で、ワールドシリーズ優勝の美酒を味わっている。しかし9年ぶりのアメリカンリーグ復帰となったグリフィーは、マリナーズ、レッズを通じてワールドシリーズの舞台さえ踏んでいない。マリナーズ時代の1995年と97年にア・リーグ西地区を制して2度プレーオフを経験しているものの、95年は計11試合で打率3割6分4厘、6本塁打、9打点をマークしながら、リーグ優勝決定シリーズでインディアンスの前に苦杯をなめ、97年は計4試合で打率1割3分3厘、0本塁打、2打点の不振、チームもオリオールズとの地区シリーズで1勝3敗と敗退した。
そして2000年に移籍したレッズでは、初年度の地区2位が最高の成績。01年以降はグリフィー自身の度重なる故障もあって7年連続で負け越しのまま、今回の移籍を迎えた。
同じレッズで70年代に超強力打線「ビッグ・レッド・マシン」の「2番・ライト」として活躍した父グリフィーSr.は、75、76年とワールドシリーズに2度出場し、2年連続世界一の栄光に輝いている。打者としても外野手としても、ほとんどの記録で父を凌駕(りょうが)したジュニアだが、シニアが2つ持っているワールドチャンピオンリングだけは手にしていないのだ。
古巣の世界一に貢献したヘンダーソン
ヘンダーソンは79年にアスレチックスでメジャー昇格を果たすと、80年にはア・リーグ新記録の年間100盗塁、82年には現在も破られていないシーズン最多記録の130盗塁をマーク。しかし、フリーエージェントによる見返りなしの流出を嫌ったフロントによって85年に交換トレードでヤンキースに移籍した。
ヘンダーソンはヤンキースでの4シーズン半でも326盗塁をマークするとともに、アスレチックス時代の6シーズン計51本塁打から、移籍初年度に24本、翌年も28本を放つなど合計76本塁打を記録。スピードとパワーを兼備した最強のリードオフマンへと飛躍を遂げた。しかし、当時のヤンキースは、ジョージ・スタインブレナー・オーナーによる度重なる監督交代などチーム内のゴタゴタが絶えず、81年のリーグ優勝を最後にプレーオフ進出から長く遠ざかっていた。
このころ、古巣アスレチックスは長い低迷を脱していた。トニー・ラルーサ監督(現カージナルス監督)の下、88年に久々のリーグ優勝を遂げたが、ワールドシリーズではドジャースに敗退。89年は、主砲ホセ・カンセコの故障による長期欠場などもあって、地区優勝に黄信号が点滅していた。
そんな状況で、6月21日、3対1の交換トレードでオークランドに戻ったヘンダーソンは、85試合で52盗塁、72得点、出塁率4割2分5厘の活躍で2年連続となる地区優勝に大きく貢献。さらにブルージェイズとのリーグ優勝決定シリーズでは打率4割、2本塁打、8得点、8盗塁の大活躍でMVPに選ばれた。ジャイアンツとの「ベイエリア対決」となったワールドシリーズでも打率4割7分4厘、1本塁打、三塁打2本、3盗塁と、文字通りヘンダーソンに引っ張られたチームは4戦全勝で9度目の世界一に輝いたのだ。
グリフィーの結末は果たして?
フィリーズとのワールドシリーズでも6試合で打率2割2分7厘ながら、出塁率3割9分3厘、6得点とリードオフマンとしての役割を果たす。第6戦では、シリーズを決めるジョー・カーターの逆転サヨナラ3ランが飛び出したとき、カーター、そして殿堂入りを果たしたポール・モリターとともに、世界一のホームを踏み、2度目のチャンピオンリングを手にしている。
グリフィーはことし、11月の誕生日で39歳。その現役生活は確実に黄昏(たそがれ)時へと差し掛かっている。ホワイトソックスは8月3日(現地時間)時点でア・リーグ中地区の首位に「0.5」ゲーム差で2位。果たして今回のトレードで残された唯一の「見果てぬ夢」である世界一を、ヘンダーソンのように果たすことはできるだろうか。
<了>
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