最高の対戦相手によって輝いた、野茂英雄のメジャー生活

上田龍

印象的なイチローとの対戦

ことし4月、イチロー(右手前)とメジャーで最後の対決をした野茂(奥) 【写真は共同】

 ユニホームとの別れを決意した野茂英雄のメジャーリーグ生活を短く総括するならば、彼はそのデビューから最後の試合まで、常に最高の対戦相手に恵まれていたのではないだろうか。野茂が近鉄入団4年目の1993年、彼からプロ入り初本塁打を放った当時19歳の鈴木一朗は、それから15年後、マリナーズのイチローとなり、メジャーでの最後の対決において、野茂のフォークボールにあの日と同じフルスイングで立ち向かっていった。

 95年4月27日、ロサンゼルス・ドジャースでのメジャー昇格をほぼ確実なものにしていた野茂は、デビュー前最後の実戦テストで傘下マイナー球団の試合に登板し、5回1/3を2失点に抑えたが、そのときの対戦相手だったパドレス傘下のマイナー球団には、現在カブスの主砲として大活躍中のデレック・リーがラインアップに名を連ねていた。

メジャー初登板でボンズを翻弄

95年にドジャースへ入団。日米の野球に偉大な功績を残した 【Getty Images/アフロ】

 それから5日後、晴れてメジャーリーガーの一員となった野茂にとって、その実力をアピールする「リトマス試験紙」と言うべき存在となったのは、ドジャースの宿敵サンフランシスコ・ジャイアンツの主砲バリー・ボンズだった。当時のボンズは、メジャー2人目の40本塁打40盗塁を記録し、外野守備でもゴールドグラブの常連だった、文字通り史上最高の「ファイブ・ツール・プレーヤー」だった。
 筆者はこの年の8月、当時ジャイアンツの本拠地だったスリーコムパークで、先発のマウンドに立った野茂が、90マイル台後半(約156〜159キロ)の速球と決め球のフォークボールを駆使してボンズを翻弄(ほんろう)する姿を目の当たりにしている。この試合でジャイアンツ打線をわずか1安打完封に抑えた野茂は、1年目、ボンズとの13回の対戦でシングルヒット1本、4奪三振と「完勝」したが、デビュー直後の数シーズンを除けば、ボンズが特定の相手投手にこれほど手を焼いたことは後にも先にもなかったのではないだろうか。

 もちろん野茂が全力投球で立ち向かったのはボンズだけではない。95年のナショナルリーグ各球団には、トニー・グウィン(パドレス)、クレイグ・ビジオ(アストロズ)、ラリー・ウォーカー(ロッキーズ)、バリー・ラーキン(レッズ)、ゲーリー・シェフィールド(マーリンズ、現タイガース)など、そうそうたる顔ぶれがロースターに名を連ねていた。13勝を挙げ、リーグ最多奪三振をマークした野茂と最後まで新人王のいすを争ったのは、現在もブレーブスの主砲として活躍中のチッパー・ジョーンズだった。もちろん完ぺきに抑えた相手もいれば、痛打を浴びた相手もいるが、肝心なのは野茂がこうしたビッグネームをいつも“本気”にさせたピッチャーだったということである。

野茂を見て現役復帰を決意

 さらに野茂の出現は、言葉は悪いが、「一度死んだ男」を墓場からよみがえらせてもいる。シカゴ・カブスの二塁手として通算9度のゴールドグラブに輝いたほか、84年にナ・リーグMVP、90年には本塁打王にも輝いたライン・サンドバーグは、94年のシーズン途中、極度の成績不振に加えて、球団首脳部とのあつれきなどもあり、いったん現役を退き、95年はまったくプレーしていなかった。しかし、自宅のテレビで目にした野茂の快刀乱麻のピッチングが、サンドバーグに再び野球への情熱を呼び起こす大きなきっかけとなった。
 96年、1年半ぶりに現役復帰を果たしたサンドバーグは、打っては25本塁打、92打点、守っても全盛期と変わらぬグラブさばきを披露。そして復帰2シーズン目の翌年8月、野茂と対戦したサンドバーグがジャストミートした打球は、右中間スタンドの最深部に飛び込む本塁打となった。

「アウトコースへの速球で、決して易しい球ではなかった。そして彼ほどの偉大な投手から会心の一発を打てたことで、もう現役生活で思い残すことは完全になくなったんだよ」
 
 野茂との対決から1カ月後、今度こそ「本当の引退」を決意したサンドバーグは、取材に訪れた筆者をダッグアウトからフィールドに導くと、少年のように興奮した口調で本塁打が飛び込んだ方向を何度も指差していた。

 メジャーリーグでマークした123の勝ち星、両リーグでのノーヒットノーランと奪三振王……数多くの栄光は、野球の歴史に名を刻む数多くのビッグネームに対して常に真っ向勝負を挑み、彼らを本気にさせながら積み重ねられてきたもの。だからこそより輝きを増し、その結果として、日本におけるメジャーリーグは新聞記事やテレビニュースのトップ項目にまで上り詰めたのである。マニアックな興味の対象から、メジャーリーグを日常会話のテーマに変えたことこそが、まさに野茂英雄が残した最大の功績ではないだろうか。

<了>
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著者プロフィール

ベースボール・コントリビューター(野球記者・野球史研究者)。出版社勤務を経て1998年からフリーのライターに。2004年からスカイパーフェクTV!MLB中継の日本語コメンテーターを務めた。著書に『戦火に消えた幻のエース 巨人軍・広瀬習一の生涯』など。新刊『MLB強打者の系譜「1・2・3」──T・ウィリアムズもイチローも松井秀喜も仲間入りしていないリストの中身とは?(仮題)』今夏刊行予定。野球文化學會幹事、野球体育博物館個人維持会員

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