まさに天国と地獄? メジャーの開幕連勝・連敗記録
「負け犬」と「ダメ監督」が起こした奇跡
現ドジャースのトーリ監督、かつてはブレーブスの監督として開幕13連勝を記録した 【 (C)Getty Images/AFLO】
その大事な開幕戦からなんと13試合も勝ち続けたチームが、メジャーリーグ史上2つある。最初にこの偉業を成し遂げたのは、1982年のブレーブスだ。
91年から、ストでシーズンが打ち切られた94年を挟んで地区14連覇を達成するなど、強豪というイメージの強いブレーブスだが、通算755本塁打のハンク・アーロンが去った70年代後半は、当時のナショナルリーグ西地区で最下位の常連となっていた。77年にはあまりの弱さに痺れを切らしたオーナーのテッド・ターナーが、自らベンチでさい配を振るってリーグ会長からお叱りを受ける始末。翌年には36歳の“青年監督”ボビー・コックスを迎えるが、4年間で勝率5割を超えたのが1シーズンだけとあって81年オフに解任され、後任として白羽の矢を立てられたのがジョー・トーリ(現ドジャース監督)だった。
今でこそ「名将」の名を欲しいままにしている感のあるトーリだが、当時は5年間務めたメッツ監督の座を追われたばかり。選手としての実績はコックスよりもはるかに上だが、メッツを指揮した5年間で勝率5割を上回ったことは一度もなく、テールエンド(最下位)も3度記録していた指揮官の登用には、疑問の声が多かった。
そんな言わば「ダメ監督」を迎えた「負け犬」ブレーブスが開幕から勝ち続けたのだから、誰もが驚いた。責任を持たせようというトーリの狙いで、開幕から4番を任されたボブ・ホーナー三塁手(後にヤクルトでもプレー)のバットはなかなか火を噴かなかったが、メジャー4年目で開幕投手に指名されたリック・メイラーが「弱体」と呼ばれた投手陣を引っ張って2試合連続完封。9連勝がかかった4月16日(現地時間)のアストロズ戦では、そのメイラーが5回持たずにマウンドを降りたものの、ホーナーが速球王ノーラン・ライアンから決勝二塁打を放って逆転勝利を収めた。
開幕ダッシュはペナントにつながるか?
翌21日はレッズに最後まで苦しめられながらも、9回裏に2点を挙げて逆転サヨナラで13連勝。しかし翌日は1対2で敗れて連勝が止まると、そこから今度は5連敗。5月は負け越したかと思えば、6月は一転して大きく勝ち越すなど、トーリが言うところの「ジェットコースターのような」シーズンになった。
8月には2位に転落しながらも、最後にドジャースとのつばぜり合いを制したブレーブスは、1ゲーム差で逃げ切って13年ぶりの地区制覇。序盤の貯金が大きくモノを言う結果となった。
このブレーブスとは対照的に、「ロケットスタート」をペナントにつなげることができなかったのが、87年のブルワーズだ。開幕13連勝の後、負けをひとつ挟んでまた4連勝したので、この時点で17勝1敗は5年前のブレーブスを上回るハイペース。ところが失速も早かった。
4月を18勝3敗で終えながら、5月3日からなんと12連敗。この時点で3位まで転落すると、前半戦は42勝43敗でアメリカンリーグ東地区の4位。8月、9月は大きく勝ち越したものの、再び上位に返り咲くことはながった。
悪夢の開幕21連敗
当時のオリオールズの中心選手といえば、後に殿堂入りするエディー・マレー一塁手と“鉄人”カル・リプケン遊撃手。特にリプケンの場合、前の年に父カル・リプケン・シニアがオリオールズの監督に就任したことで、二塁手の弟ビリーの存在と合わせて注目を集めていた。しかし、そのリプケンを思いもよらぬ悪夢が待っていた。
ア・リーグ東地区で7球団中6位に終わった前年の雪辱を誓って臨んだ88年、開幕から6連敗を喫した時点で父親のリプケン監督が解任されてしまったのだ。そこまで打率0割5分3厘、1打点と極度の不振で、父の足を引っ張っていた格好になっていたカルのショックは大きかった。
新監督となったかつてのスーパースター、フランク・ロビンソンの下でもチームは勝てず、4月20日のブルワーズ戦ではいったん逆転しながら再逆転を許し、メジャー新記録の開幕14連敗。その数字が「18」まで伸びると、当時のロナルド・レーガン大統領がロビンソン監督に激励の電話をかけるなど、オリオールズの連敗記録は大きな関心事となっていた。
そんなオリオールズにようやく“春”が訪れたのは、開幕から22試合目を迎えた4月29日のホワイトソックス戦。4月も残りわずかとなっての初勝利に、リプケン兄弟の顔にも笑みはなかった。
今年はくしくもあの「悪夢」から20周年。記念イベントが好きなアメリカ人も、さすがにこれを祝うほどのブラックユーモアは持ち合わせていないだろうか。
<了>
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