100分の1秒を追い求めて 競泳用水着の開発と変遷

宮崎恵理
 競泳ほど、シンプルにアスリートの技術を競う種目はない。選手は水着だけを着用し、水中という非常に抵抗の大きな環境の中で己のテクニックを駆使しなくてはならないのだ。視点を変えれば、水着は、競泳というスポーツにおいて、サイエンスとテクノロジーを集約する唯一の武器であるということがわかる。事実、100分の1秒を争い、新たな記録にチャレンジする競泳用水着は、時代とともに驚くべき変遷を遂げてきた。

より速く泳ぐための3つの要素

「より速く泳ぐためのテクノロジー戦略の軸は、大きく3つあります」
 競泳用水着のテクノロジーの変遷について語ってくれたのは、株式会社デサントのマーケティング部課長で、水着ブランド「arena(アリーナ)」の開発に携わる坪内敬治氏だ。
「1つ目は、選手にとって運動がしやすいこと。2つ目は、生地の表面抵抗の低減化。3つ目は、水中での流水抵抗の低減化です。この3つのバランスをいかに効率良く実現するかということに、競泳用水着のメーカー各社は注力しているのです」

 運動のしやすさを追求していけば、いわゆるビキニタイプ、ハイレグで背開きの大きな水着に行きつく。水着の束縛から解放されることで、選手は自由に筋肉を動かすことができるからだ。これが、1970年代に起こったムーブメントだった。
 21世紀を前に、テクノロジーは素材そのものの進化とともに、表面抵抗の低減化競争に突入する。素材の改良や表面加工によって、生身の肌よりも水着の生地の方が表面抵抗が少なくなったため、水着は一気に肌面を覆うタイプへと変わったのだ。ロングスパッツやフルスーツスタイルの水着の登場である。
 しかし、全身を覆うタイプの水着の場合、ハダカに近いタイプの水着と比較すると、どうしても窮屈で運動のしやすさという点では劣る。全身は覆いながらも、同時に運動はしやすいという機能性を兼ね備えた水着の開発に心血を注ぐようになるのだ。

水中抵抗を減らすために

 とはいえ、表面抵抗の低減化テクノロジーの競争は、目覚ましいものがあった。生地そのものの改良から、生地の表面にわずかな突起物を付着させる加工技術によって、さらに低減化は進化していったのだ。しかし、2005年には、国際水泳連盟(FINA)によって、表面に突起物を付着する表面加工を禁止するというルール改正が行なわれた。

 そんな中、アテネ五輪以降の競泳用水着のテクノロジーは、どのように進化してきているのだろう。坪内氏は言う。
「選手が本当に求める水着とは、どのようなものか。まずは、基本コンセプトから見直しました。そこで浮上してきたのが、“水中抵抗を減らす水着”ということでした」

 水中抵抗は、空気抵抗の約20倍に及ぶ。その抵抗を水着で低減化することができれば、選手はより速く楽に泳げるはずだ、と。
「水中抵抗を減らすためには、水中での抵抗を受ける面積・体積をできるだけ小さくすればいい。コンパクトで細くまっすぐな姿勢を保持したまま泳ぐことができれば、より抵抗が少なくなるはずです。まずは、全く新しい素材の開発から着手しました」

 従来、水着の素材は表面抵抗を減らすためツルツルとした肌触りだった。
「目指したのは、“ズレない”生地の開発でした」
 裏地部分、つまり肌に直接触れる部分に高いグリップ性をもたせ、強い伸縮性をもつハイパワー素材であること。選手が着用すると、まるで吸い付くように水着が筋肉をホールドしてギュッと締めつけた状態になり、水中での筋肉のブレを抑え、泳いでいる時にスピードロスにつながる余分な生地のズレやシワなどが生じないのである。

全く新しい水着の誕生

「素材の開発にまい進していた頃、われわれ開発スタッフは、ナショナルチームのトレーナーの方と出会いました。選手たちが使う筋肉、メンテナンスのことなどをお聞きするうちに、実は、大きく動かす腕や脚の筋肉以上に、体幹部、つまり腹筋や背筋、胸筋、大臀筋(だいでんきん)など、体のしんのメンテナンスがとても重要であるというお話を伺ったのです。体幹は、水中でベストフォームを保つために使っている筋肉ですから、と。ということは、水中で体幹を支える水着ができたら、それはすごく選手をサポートすることになるのではないか。水中での姿勢を保ちながら水中抵抗の少ない水着を作ろう。こうして、新しい開発コンセプトが固まったのです」

 アテネ五輪から2年、コンセプトワークが固まった。あとは、その理念をどう、形にするか。水中抵抗が一番少ない姿勢は、しっかりと全身を伸ばした、いわゆる蹴伸び姿勢と言われている。この姿勢を保つために使われているのが、体幹筋だ。レースの間じゅう、水着が体幹全体をしっかりとサポートすることで、選手のポテンシャルはさらに向上するはずだ。開発スタッフは、新たな素材の開発とともに、姿勢保持のためにカラダの筋肉構造からレイアウトを考慮した型紙を起こしていった。

 こうして、生まれたのが、アリーナの“シン・レボリューション”である。
 従来比1.9倍という摩擦力によって肌にピタリと密着し、高いグリップ性、ストレッチ性で全身の筋肉をホールドする最新素材“ラッスル”を採用。水中で体幹部を効果的にホールドするため、体幹の筋肉分布に基づいた“アナトミック・パターン”を搭載した、全く新しい水着が誕生したのだ。

1/2ページ

著者プロフィール

東京生まれ。マリンスポーツ専門誌を発行する出版社で、ウインドサーフィン専門誌の編集部勤務を経て、フリーランスライターに。雑誌・書籍などの編集・執筆にたずさわる。得意分野はバレーボール(インドア、ビーチとも)、スキー(特にフリースタイル系)、フィットネス、健康関連。また、パラリンピックなどの障害者スポーツでも取材活動中。日本スポーツプレス協会会員、国際スポーツプレス協会会員。著書に『心眼で射止めた金メダル』『希望をくれた人』。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント