日本人史上最高の才能 フェンシング・太田雄貴

田中夕子
 17歳で全日本選手権を制し、2年後の2004年アテネ五輪では、入賞まであと一歩の9位となった太田雄貴。その後、06年のドーハ・アジア大会では、日本人として28年ぶりとなるフルーレ個人金メダル獲得。さらに、07年のワールドカップ個人戦では2つの銀メダルを獲得し、団体戦では出場5大会中2大会を制した。08年3月31日時点で世界ランキング8位以内であれば、無条件で北京五輪への出場権が与えられるフェンシング競技。太田は現在、ランキング8位につけている。周囲の人々は彼のことを、「日本フェンシング史上最高の才能」と称賛する。(文=田中夕子)

本物に出会わせてくれた父の熱意

――そもそも、太田選手がフェンシングを始めたきっかけは何だったのでしょうか?

 父の「スーパーファミコンを買ってあげる」という言葉につられました(笑)。フルーレ日本代表の千田(健太)くん、福田(佑輔)さん、市川(恭也)さんの両親は、フェンシングで好成績を収めた選手たちばかりです。でもうちの父は、京都府で3位でしたし、賞状が1枚か2枚ある程度の選手でした。ただ熱意だけはありましたね。

――お父さんと2人での、いわゆる「父子鷹(おやこだか)」のような感じ?

 いえ、むしろ父は自分の限界が分かっていたので、早いうちから本物に触れさせようと、いろいろな選手や指導者の方に僕の指導を託しました。まだ右も左も分からんかった小学生のころから、朝4時に起きて始発の新幹線で東京に行き、大学生と練習する機会を与えてもらいました。もちろんその費用は父のポケットマネーだし、今思えばそれなりの額ですよね。でもそうやって、早いうちからたくさんの人に出会えたことで強くなれたのだと思います。ただ最初のころはうまくできなかったし、フェンシングがつまらないと思っていたこともありました。

全国大会優勝で変化した世界観

――フェンシングが楽しくなり始めたのはいつごろからでしたか?

 勝てるようになってからです。小学校3年生で競技を始めて、それから半年後の全国大会で優勝したら、一気に景色が変わりました。めっちゃ楽しくなりましたね。幼いなりに自分の世界観が変わったし、視野が広がりました。当時からフェンシングは競技人口が少ないスポーツだということは分かっていましたが、それでも勝てば評価をされる。勝って、初めて「楽しい」と思うようになりました。その感覚は今も変わりません。

――もともと負けず嫌い?

 そうですね。今でこそ、相手を思ったり、尊重することができるようになりましたが、小さいころは協調性がなかった。人のミスにもすぐに文句を言うてしまいそうで、団体競技には絶対に向いていないと思っていました(笑)。しかも、意外と打たれ弱い。(冗談を言ったときに)「お前、寒いねん」とか相手に返されると、「うーっ」とへこむタイプです(笑)。だから僕には個人競技が向いていたし、早くから勝つことができたフェンシングという競技が合っていたと思います。

フェンシングを伝えること

――フェンシングはなかなか身近ではない競技なので、五輪で初めて見る人が多いと思います。見たことや経験したことのない人でも分かるように、太田選手から簡単にフェンシング競技のルールや、種目による違いなどを教えていただけますか?

 フェンシングは、エペ、サーブル、フルーレという3種目から成り立ちます。「エペ」は、頭のてっぺんからつま先まですべてが有効面で、どちらが先に突いたかだけで勝負を競うものです。どちらから先に攻撃するかという「攻撃権」もありません。見ていて一番分かりやすく、(世界的には)競技人口も一番多い種目です。
 次に(競技人口が)多いのが「サーブル」です。騎馬民族が発祥とされているサーブルは、有効面が上半身だけに限られ、攻撃権があります。馬に乗った状態での攻撃を前提としているので、上半身より下を切ると馬を切ってしまうことになります。それは騎士道精神を傷つけることになるので、有効面は上半身だけ。映画などを見ても分かるように、馬上での剣を応酬するシーンでは「突く」よりも「切って」いますので、サーブルは突きだけでなく、切ることもできる唯一の種目です。
 「フルーレ」はエペの練習から競技に発展したもので、日本では一番メジャーな種目です。サーブル同様に攻撃権があり、有効面は胸や頭、背中や股(また)など、剣で突かれたら致命傷になる場所です。どこを突いてもいいエペの場合は、手が長く背の高い選手が有利なのですが、僕のように小さい選手には有効面が限られたフルーレが適していると思います。

――フルーレで戦う太田選手が目指している「究極の理想像」を教えて下さい

 フェンシングは15点を先取した方が勝ちなので、僕は常に15−0で勝つことを狙っています。現実的に考えれば難しいですが、無駄な失点をしない選手になりたい。みんなから、「すごい」と言われる試合運びがしたいですね。僕が小さいころに強い先輩を目標にして、その人を倒すことを考えて練習してきたように、下の世代の選手たちには僕を目標にしてほしい。僕を倒したいという気持ちで練習に励んでもらえれば、それは僕にとって最高のことです。
 見ている人はきっと感動したいからスポーツを見ると思うし、僕自身も見ている人を感動させたい。ただ単に強いのではなくて、見ている人に驚きや感動を与えられるようなプレーヤーになりたいですね。プロ野球・阪神の投手、藤川球児さんが「ストレートにこだわる」と言うように、自信を持っている部分で勝負をしたい。この気持ちはすごくよく分かりますよ。僕はそのポイントが「素早い攻撃と、素早い剣さばき」だと思っています。それを十分発揮して、圧倒的な力で攻め込んで勝つことが理想です。一瞬で相手を刺すスピード。そこには自信を持っていますので、まずはスピードの速さに注目して下さい。

――フェンシングの面白さを堪能するために、まずはどこを見たらいいのでしょうか?

 一瞬で勝負が決するので、なかなか難しいかもしれませんが、近距離で行われる相手との「突く」「突かれる」という攻防を見てもらうのが、まずは一番分かりやすく、面白いのではないでしょうか。
 フェンシングの語源は(柵、囲いを意味する)「フェンス(fence)」から来ているので、基本は「守備」です。相手のアクションをしのいで、そこから攻撃を仕掛ける一瞬のやりとりには、勝った、負けたという結果以上に面白さが伝わると思います。そのあたりを見てもらえたらいいですね。
 実際にフェンシングのルールは難しいと思いますし、(ルールが)単純な競技ほど人気がありますよね。やはりルールの分かりにくさが、いくら強くてもなかなか人気が出ない原因としてあるように思います。経験を重ねて強くなる競技なので、僕自身も始めたころは勝てなくてつまらないと思っていました。だから、見慣れるまでは難しいかもしれません。
 でもフェンシングには、この競技特有の楽しさがあります。メジャー競技とまで行かなくても、強くて日本が誇れる競技の1つになりたい。学校体育で取り入れられるのは不可能かもしれませんが、「フェンシングって何?」ではなく、「あぁ、フェンシングね」と普通にリアクションをしてもらえるぐらいには盛り上げていきたいです。

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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