日本人史上最高の才能 フェンシング・太田雄貴

田中夕子
 小学生のころから数々の大会を制し、早くから太田は全国にその名をはせる。父の熱意と、彼が持つ天性のセンスから、その才能は大きく花開いていった。
 しかし、日本選手権、アテネ五輪と史上最年少で史上最高の成績を残し続けた天才も、昨年はなかなか勝つことができず、苦悩のときを過ごした。メダルが期待された世界選手権では10位。ショックから、一時は剣を握ることすらできなかった。

“敗戦”での自問自答と真の感謝

――昨シーズンは女子フルーレ団体が世界選手権で初のメダル獲得、男子フルーレ団体は世界ランキング1位に輝くなど、日本フェンシング界にとっては飛躍の年でした。太田選手個人にとってはどんな1年でしたか?

 苦しかったですね……。なかでも世界選手権は全く余裕がありませんでした。自分で「調子がいい」と言い聞かせていたけれど、体調も良くなくて、個人戦が終わったら風邪をひいてしまった。団体でも結果を出せずに悔しい思いをしました。
 ようやくフェンシングが注目され始めていましたし、ここで結果を出せばもっと注目してもらえるのも分かっていました。何より、自分自身が五輪の(出場)権利を早く確定させたかったし、僕が確定すればアジア枠でボーダーラインにいるほかの選手にも余裕が生まれる。そんな状況で勝負弱さを露呈してしまったことが悔しかったですね。上位の8人は常に崩れないのに、何で自分だけ崩れてしまったのだろうと後悔しました。
 8月のアジア選手権からそのまま休暇も取らず、しんどかったのは確かです。でも、そうまでして頑張ったのに結果が出ず、「努力が報われなかった」とがっくりしました。それまでは努力すればしただけ結果が返ってきたのに、返ってこなかった不甲斐なさから、やるせなくなってしまって。「おれはフェンシングが向いていないのかな」と自問自答していました。

――それまでには味わったことのない悔しさ?

 ショックでしたね。メダルを目標にしていたので、自分も周りも満足できない。とにかくへこみました。あまりに落ち込んでいたので、トレーナーさんから「どこまでへこむねん」と言われたこともありました。
 でもそんな状態の僕に対して、トレーナーさんが「じゃあ、食事にでも行こうか」と気分転換に誘ってくれたり、いろいろな人が僕のために何かをしてくれようとした。アスリートはよく、「みなさまのおかげで」と決まり文句のように言いますよね。それを聞くたびに内心で「きれいごとを言いやがって」と思っていたのですが、世界選手権の後は「みなさまのおかげ」と本気で思いました。周りの助けが本当にありがたかったし、これだけの人たちが僕を助けてくれて、僕に期待してくれているのなら、彼らの期待に応えるために頑張らなければダメじゃないか。たった1回の結果で落ち込む必要ないじゃないかと思えるようになりました。もちろん反省すべき点は反省しなければなりませんが、これが2008年の8月じゃなくてよかった。貴重な経験ができたと思います。

――その経験を踏まえて、今取り組んでいることや、課題があれば教えて下さい

 現状では、「まだ勝てないだろう」と思う選手が何人かいます。ですから、対戦相手はもちろん、プラス自分自身を、8月までに磨いていかなければダメだと思います。
 対戦相手だけが課題であるうちは、相手に合わせている状態です。ですから、彼らを自分に合わせさせるように自分も高めないと。まずは自分のプレースタイルを確立して、かつ相手に対して応用が利く。それが最強のスタイルだと思います。頭脳の部分では(日本代表の)オレグコーチがいてくれますが、自分を磨き、形成するのは僕自身。まさに、自分との戦いですね。

五輪後の人生を「変わるじゃなくて、変える」

――では最後に、あらためて北京五輪での目標を聞かせて下さい

 もちろんメダル。しかも金メダルを取ることです。可能性があるときは、きっとそんなに多くない。勝負ができるのも人生で数回だと思う。だから今、僕が勝負できる場面にいることは、とても幸せなことだと思います。
 もちろんみんなが歯を食いしばってやってきている中での勝ち負けなので、思い通りには勝てないときもあると思います。でも、それにチャレンジし続けることに意義があると思うし、そういう状況で勝ってなんぼだろうと考えるのが僕の性格なので、勝てるように努力したいです。五輪で人生を変えたい。変わるじゃなくて、変える。8月が楽しみです。

<了>

太田雄貴(おおたゆうき)

1985年11月25日生まれ 滋賀県出身

 “日本フェンシング史上最高の才能”と称される、男子フルーレのエース。競技経験者の父親から勧められ、小学生3年生からフェンシングを始める。小学校で全国大会の優勝を経験するなど早くから頭角を現し、平安高校(京都)では史上初となるインターハイ3連覇を達成。また全日本選手権を史上最年少の17歳で制した。2004年のアテネ五輪では日本人最高の9位、06年アジア大会(カタール・ドーハ)ではフェンシングで28年ぶりとなる金メダルを獲得した。現在の世界ランキングは8位。同志社大学に在籍。

<過去の主な成績>
02年 全日本選手権 優勝
03年 全日本選手権 3位
04年 アテネ五輪  9位
    全日本選手権 2位
05年 全日本選手権 2位
06年 アジア大会 個人優勝
07年 全日本選手権 優勝
    アジア選手権 個人優勝、団体2位
    W杯ロシアGP 個人7位、団体優勝
    W杯フランスGP 個人2位、団体3位
    W杯エジプトGP 個人5位、団体優勝
    W杯韓国大会 個人2位

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著者プロフィール

神奈川県生まれ。神奈川新聞運動部でのアルバイトを経て、『月刊トレーニングジャーナル』編集部勤務。2004年にフリーとなり、バレーボール、水泳、フェンシング、レスリングなど五輪競技を取材。著書に『高校バレーは頭脳が9割』(日本文化出版)。共著に『海と、がれきと、ボールと、絆』(講談社)、『青春サプリ』(ポプラ社)。『SAORI』(日本文化出版)、『夢を泳ぐ』(徳間書店)、『絆があれば何度でもやり直せる』(カンゼン)など女子アスリートの著書や、前橋育英高校硬式野球部の荒井直樹監督が記した『当たり前の積み重ねが本物になる』『凡事徹底 前橋育英高校野球部で教え続けていること』(カンゼン)などで構成を担当

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