ガラタサライの躍動感を体現する長友佑都 「ここのサッカーはめちゃくちゃ楽しい」

元川悦子

「水を得た魚」のように攻撃参加

移籍後は「水を得た魚」のように果敢に攻撃参加する長友。「居心地がよくて楽しい」と話す 【Getty Images】

 3月27日(以下、現地時間)のウクライナ戦(リエージュ)から5日が経過した4月1日の夜、長友佑都は赤とオレンジのユニホームを身にまとい、ガラタサライの左サイドバック(SB)として本拠地、テュルク・テレコム・アレナのピッチに立っていた。対戦相手はこの時点で5位のトラブゾンスポル。3シーズンぶりのスュペル・リグ(トルコ1部リーグ)王者に返り咲くためにも、この上位対決は絶対に落とせない。4万6934人の大サポーターが異様な熱気と興奮を漂わせ、闘争心をあおる中、試合は始まった。

 ガラタサライの基本布陣は4−3−3。ウルグアイ代表GKフェルナンド・ムスレラ、トルコ代表DFセルダル・アジズらが守備陣を統率。中盤はオランダ人のライアン・ドンクがアンカーを務め、インサイドハーフのユネス・ベルアンダとセルチュク・イナンが積極果敢に前線へ飛び出していく。そしてFW陣も元フランス代表FWバフェティンビ・ゴミスら能力の高い面々ばかり。長友にとってやりがいのある環境なのは確かだ。

「イタリアでは守備を求められていて、『自分が上がりたい』というタイミングでも守備のバランスを意識していた部分があった。でも、今のガラタサライのファティ・テリム監督の求めるサッカーは、どんどんSBに攻撃をさせる。僕も『昔の自分』に戻ったようにガムシャラでイキイキしている。『水を得た魚』じゃないですけれど、そのくらい居心地がよくて楽しい」

 3月の日本代表活動期間中にも、彼は新天地での役割の変化をそう説明していたが、この日も飽くなき攻撃姿勢を前面に押し出した。

 その意欲が開始7分にいきなり結実する。左サイドで高い位置を取った背番号55はゴールライン手前からマイナスのボールを蹴り込んだ。これにアルジェリア代表MFソフィアン・フェグリが反応してシュート。いったんはDFに跳ね返されたが、右から駆け上がったブラジル人右SB、マリアーノ・フェレイラ・フィーリョが奪い返し、再びクロスを入れる。次の瞬間、ファーに飛び出したフェグリが今度は確実に決め、ガラタサライはいち早く1点をリードした。

「自分にパスも来るし、起点になって攻撃を作るという意味でも楽しめている。チームメートと生かし生かされる関係ができていますね」と長友は満面の笑みを浮かべたが、1月末にレンタルでイスタンブールに赴き、2月4日のシバスポル戦でトルコデビューを飾ってから、まだ9試合(リーグ8試合・カップ戦1試合)しか経過していない。彼の適応力の高さにはテリム監督やチームメートも驚きを禁じ得なかったはずだ。

攻撃参加の裏で見せた圧巻のデュエル

攻撃参加を見せながら、対面の相手を確実に封じる。デュエルの強さはまさに圧巻だった 【写真は共同】

 その後、ガラタサライは後半15分にリーグ得点ランキングトップを走るゴミスが追加点をゲット。力強く勝利をたぐり寄せる。後半終了間際に相手の超ロングFKがそのままネットを揺らすという不運があり、2−1まで追い上げられたものの、リーグ5連勝で首位をキープした。90分フル出場した長友自身も、現地スポーツ紙『Yani Safak』から10点中「7」の高評価を与えられるほど、攻守両面でまばゆい輝きを放っていた。

 とりわけ目を引いたのが、すさまじい回数の攻撃参加を見せながら、対面の相手を確実に封じたことだ。トラブゾンスポルが頻繁にポジションチェンジを行ってきたため、長友のマーカーは1試合で3、4回も変わったが、全てに対してスキを作らない。デュエルの強さはまさに圧巻だった。

 実のところ、今季のガラタサライは左SBが最大の穴と言われていた。長友加入前はルーマニア人DFヤスミン・ラトブレビッチがこの位置を担ったが、守備の脆さやミスの多さがあまりにも目立ち、テリム監督は頭を抱えていたという。センターバックを本職とする184センチの長身DFハカン・バルタを起用する大胆な試みも行ったが、どうしてもうまくいかない。そこで、トルコきっての名将がインテルで出番が遠のいていた長友の獲得に乗り出した。かつてフィオレンティーナやミランを率い、イタリア語を操れる指揮官は直々に電話を入れ、説得を試みるほどの熱意を示したようだ。

「インテルで試合に出られないと諦めたわけじゃなかったけれど、自分自身、調子がよかっただけに、出場できていない状況が難しかった。代表のことも常に心にあるし、試合に出ていないと呼ばれなくなる可能性もあると感じていました。もちろん7年間プレーしたインテルを出るのは複雑な心境でしたし、出産間近の妻のことも気掛かりだった。そういう部分は確かにあったけれど、(ウェスレイ・)スナイデルやフェリペ・メロ、(ロベルト・)マンチーニ監督に相談したら『最高のクラブだから行け』とストレートに言われた。サッカー人生を考えたら、迷いはなかったです」と、長友は熱烈オファーを受け入れたのだった。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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