世界と戦った瀬古、名監督にもなった渡辺 箱根を彩った名選手を振り返る
今回は箱根駅伝を彩ってきた名ランナーを振り返る。
「金メダル確実」だった瀬古利彦
第56回箱根駅伝(1980年)、大学4年次の瀬古利彦。車上から指示を送るのは中村清監督 【写真:山田真市/アフロ】
箱根駅伝では3年次、4年次と連続で区間賞を獲得。「箱根から世界へ」を最も体現した選手だったとも言える。
“花の2区”を彩った渡辺康幸
第72回箱根駅伝(1996年)2区で8人抜きを達成した渡辺康幸。この勢いを生かし早稲田大が往路を制した 【写真は共同】
卒業後はヱスビー食品に入社し、五輪出場を目指したが、度重なるケガもありその夢は叶わず。しかし、2003年より指導者として早稲田大に戻ってくると、11年には第87回箱根駅伝を含め、出雲駅伝、全日本大学駅伝も制し、史上3校目の大学3大駅伝三冠を達成。名選手にして名監督の称号も手に入れた。
箱根から世界へ羽ばたいた選手たち
3年連続5区区間賞を獲得した順天堂大・今井正人。「山の神」の異名は今井から始まった 【写真:日本スポーツプレス協会/アフロスポーツ】
早稲田大のエースとして活躍し08年北京五輪には現役大学生として出場した竹澤健介、竹澤と同級生で第82回大会(06年)から3大会連続で区間記録(3区、1区、7区)を更新したロンドン五輪代表の佐藤悠基(東海大)など、箱根駅伝での活躍を経て五輪に出場した選手も数多く出ている。
今夏のリオ五輪では、第87回(11年)と第88回(12年)に2大会連続1区区間賞を獲得した大迫傑(早稲田大)、城西大のエースとして2区を3度任された村山紘太が日本代表としてトラック種目に挑んだのも記憶に新しい。
今大会には8月のリオデジャネイロ五輪に現役大学生として3000メートル障害に出場した塩尻和也(順天堂大)がエントリーしており、箱根での活躍に注目だ。
- 前へ
- 1
- 次へ
1/1ページ