帝京ロンドン学園がプロを生み出すまで 在英日本人が育んできたサッカー文化
帝京ロンドン学園とは?
サッカーコースを設けている帝京ロンドン学園。イギリスの高校と比較しても際立ったカリキュラムで指導を行っている 【カルロス矢吹】
「Quick!」「Up!」と英語で選手同士の指示が飛び交う中、それに混じって「前当たって!」「キーパー!」と、なぜか日本語も聞こえてくる。現地の高校ウーズデイル・スクールと対戦しているのは、帝京ロンドン学園。あのサッカー名門校、帝京高校と同じ帝京大学系列の私立在外教育施設である。
帝京ロンドン学園は普通科とは別にサッカーコースを設けており、英国五輪選手が使用するナショナルトレーニングセンターで現地コーチによる練習を行うなど、イギリスの高校と比較しても際立ったカリキュラムで指導を行っている。その取り組みが実り、2014年には州大会を制覇。イギリスの高校サッカー界で一気に注目を集めた。
しかし、なぜ在外教育施設がイギリスの大会に出場できるのだろうか。まして州大会を制覇するなんて、アメリカンスクールが甲子園に出るようなものである。
英国における日本人指導者の奮闘
「当時私は、日本の小学校で体育の教員をしていたんですが、「サッカーと英語の勉強にイギリスへ行かないか」という誘いを受けて、1987年3月に渡英しました。私が25歳の時です」
そう答えてくれたのは帝京ロンドン学園サッカー部初代顧問、竹内雅樹。FAコーチングライセンスも所有している彼は現在、東京の帝京大学小学校で教員を務めている。
「最初にイギリスで赴任したのは帝京ロンドン学園ではなく、現在は閉校してしまいましたが、暁星国際学園の系列校に当たる英国暁星国際学園でした。サッカー部の試合を組んであげたかったんですが、『ワールドカップ(W杯)に出場したこともない国の人がサッカーなんてできるのか』と門前払いを食らっていました。ところが、私もまだ若かったので、同僚のイギリス人に紹介してもらって、選手として地元のアマチュアクラブでプレーしていたんです。
そしたらたまたまなんですけど、そこで優勝して、地元の新聞に写真付きで取り上げられたんですね。そしたら『日本人でもサッカーができるんじゃないか』となって、まずは初等部から試合を組んでもらえるようになったんですね。その時の初等部には全国大会に出場していた生徒もいて、好成績を残しました。これがキッカケで州の協会にクラブ登録することができ、ユースリーグに参加できるようになりました。そして彼らが中学・高校と成長するに従って、年代が上のユースリーグにも自然と参加できるようになったんです」
「日本人を勝たせないぞ」という雰囲気
「英国暁星の高等部が大会に出られるようになった頃、州大会の準決勝まで進んだことがありました。延長戦に入って、こちらが勝ち越しゴールを決めたと思ったら、オフサイドだと言われて。どう見てもオフサイドじゃなかったんですけれど、審判は絶対に(ゴールを)取ってくれなくて。『日本人を勝たせないぞ』という雰囲気は、年代が上がれば上がるほど濃くなって、当時は本当に苦しみましたね。
個人的にも、学校の仕事をしながらFAのコーチングライセンス取得を目指していたんですが、当時はアジア人が受験するなんて前例がなかったものですから、すごく厳しくて。永住権やパスポートの写しだけでなく、家の証明書や光熱費の支払い証明書まで提出しましたね。もっとも、FAの対応自体は丁寧で、最終的には受験させてもらえ、コーチングライセンスを取得しました。指導力だけでなく服装や言動でも判断されるので、試験のためにわざわざ服を買っている人もいました」
そして98年4月、竹内は帝京ロンドン学園に赴任する。
「当時帝京には『サッカー部』と言えるものはなく、放課後に時間がある子が集まってボールを蹴っているだけでした。そこでまずきちんと部活にしました。その時はもう日本人だからといって、嫌がらせのようなものはなくなっていましたが、レベルは低かったです。私が来る前は、英国暁星と練習試合をしても、英国暁星は中学生が来て、それでも10−0で負けるくらいでしたから。それが部活になってからは、1年である程度は戦えるようになってきました。07年に私は日本に帰国しましたが、08年のサッカーコース設立を経て、14年に州大会で優勝したと聞いた時はうれしかったです」