川崎が示したサッカーを通じてできること 復興支援と『高田スマイルフェス2016』
フロンパークが陸前高田にやってきた
「復興の象徴」上長部グラウンドで開催されたJクラブ同士の対戦。結果は1−1のドロー 【宇都宮徹壱】
上長部グラウンドは、米国映画『フィールド・オブ・ドリームス』のストーリーを地で行くような形で誕生した。映画のほうは、トウモロコシ畑を切り開いて野球場が作られたが、ここはもともと一面が田んぼだった。しかし、5年前の東日本大震災による津波で根こそぎ流され、更地となったところにJFA(日本サッカー協会)の支援によって4万株の芝が植えられたのである。発起人となったのは、当時JFA復興特任コーチだった加藤久さん(現・ジュビロ磐田GM)。ピッチの整備には、京都在住の芝生アドバイザーで「芝の神様」の異名を持つ松本栄一さんから全面的な協力を受けることとなった。このグラウンドは文字通り、日本サッカー界にとって「復興の象徴」といってよい場所である。
もちろん、更地に芝を植えればピッチができるという単純な話ではない。土地はデコボコしている上に、あちこちに雑草が生えていた。実は昨年の9月に取材でこの地を訪れた際、私は川崎のスタッフや地元のボランティアと一緒に草むしりをした。その時に強く感じたのは、何もないところから芝生のグラウンドを作ることのハードルの高さであった。しかし川崎のスタッフは、ここでJクラブ同士によるゲームを開催するという高い目標を掲げて、地元ボランティアと一緒になって夢の実現に邁進(まいしん)してきたのである。
それから10カ月後、久々に上長部を訪れてみると、見事なピッチに生まれ変わっていて大いに驚いた。よくよく観察してみると、ところどころ芝が剥げているものの、雑草はほとんど見当たらない。少なくともJFLの試合を開催するくらいなら、十分に要件をクリアしていると言えよう。そしてもうひとつ驚かされたのが、フロンターレのロゴが入ったテントが多数設置されていることだ。川崎のホームゲームでは、イベントやアトラクションやグルメが楽しめる『川崎フロンパーク』が人気を集めているが、それが400キロ離れた陸前高田にそのまま再現されているさまは、まさに絶景であった。
『算数ドリル』からスタートした川崎と陸前高田の関係
イベント当日朝の集合写真。朝7時の段階で、これだけのスタッフが会場に集まった 【宇都宮徹壱】
「陸前高田の小学校の先生から『津波で教材が流されたので、算数ドリルを送ってほしい』という連絡があったということを、川崎市内で教員をされている方を通じて知ったんです。それで、算数ドリル700冊に選手のサインを入れて現地まで持って行きました。震災からまだ1カ月、交通インフラが寸断されていたので、車で10時間以上かかりましたね」
ここから川崎と陸前高田、両者の交流がスタートする。川崎の選手たちが陸前高田で年1回のサッカー教室を開催する一方、陸前高田の子どもたちを等々力競技場のホームゲームに招くなどして、両者の行き来はその後も続いた。そして昨年9月11日には、クラブと市との間で『高田フロンターレスマイルシップ』という友好協定を締結。これまで続けてきた選手によるサッカー教室や『かわさき修学旅行』に加えて、クラブロゴやエンブレムなどの使用許諾、川崎のホームゲームでの陸前高田の観光・物産PRイベントの開催など、両者の関係性はより密接で強固なものとなっていった。
『算数ドリル』からスタートした、川崎の『Mind−1ニッポンプロジェクト』。しかし、一方通行の支援であれば、支援する側・される側の関係性が5年も続くことはなかっただろう。もともと両者は、震災が発生するまでは縁もゆかりもなかった間柄である。川崎を本拠地とするプロサッカークラブが、遠く離れた被災地の支援活動を続けたところで、経営的なメリットが発生するとは到底思えないし、そもそも彼らは慈善団体でもない。むしろ、サッカーを通しての交流であったからこそ、両者の関係性はその後も絶えることなく続いたと考えるのが自然だろう。そして震災から5年の集大成となったのが、この『高田スマイルフェス2016』だったのである。