渡部香生子、“リオ内定”が重圧に 練習積めず個人メドレーで代表逃す

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気持ち的には楽なはずだが……

まさかの3位に終わり、レース直後にぼう然とした表情を浮かべた渡部 【奥井隆史】

 競泳の日本選手権が4日から東京辰巳国際水泳場で行われているが、リオデジャネイロ五輪の出場権が懸かった今大会は、これまでの選考会とやや趣きが異なっている。何が違うのかと言えば、大会前からすでに3人の内定者がいることだ。日本水泳連盟は、昨夏の世界選手権で金メダルを獲得した選手はリオ五輪に派遣するとし、実際に同大会で優勝した瀬戸大也(JSS毛呂山)、星奈津美(ミズノ)、渡部香生子(JSS立石)の3選手は、早々に出場が決まった。

 他の選手からしてみればうらやましい限りだろう。本来であれば4月に行われる日本選手権を勝ち抜かなければ、出場権を得られないのだ。ライバルたちとの戦いだけではなく、派遣標準記録の壁も立ちはだかる同大会に向けて1度はピークを持ってこなければいけない。その過酷な戦いを回避できるとすれば、夏に向けてじっくり調整できると同時に気持ちの余裕も生まれる。もちろん内定を得た選手たちも、別の種目での出場も狙っているため、結局は状態を上げてくるのだが、1つ決まっているだけで気持ち的にはだいぶ楽だろうし、それがアドバンテージにもなる。

 しかし、早々に五輪出場が決まったことで逆に苦しんだ選手もいる。それが女子200メートル平泳ぎで代表権を獲得した渡部だった。

「五輪を頑張ろうという自分と、世界選手権みたいにうまくできるのかなと不安に思っている自分がいて、混乱していたんです。自分が気にしなくても、周りの人は『五輪、五輪』と言ってくる。それが重荷でした。『内定があるから今こんなに苦しんでいるんだ』と思うことも正直ありました」

立ち直るきっかけとなった惨敗

世界選手権でつかんだリオ切符が逆に重荷となり、練習に集中できなかった 【奥井隆史】

 10月から1月までは気持ちが乗らず、練習に集中できなかった。練習を途中で勝手に打ち切り、家に帰ってしまったことさえある。渡部を指導する竹村吉昭コーチは、当時をこう振り返る。

「本来であったら、五輪やメダルのことをこの時期から言われるはずはなかった。普通そういう話は選考会が終わってからですしね。今までなかったことが、当事者となったときにストレスとして出てきたのかもしれません。頭で考えることと、感情のコントロールが一致しなかった。経験豊富な大人の選手だったら対応できるんでしょうけど、彼女は19歳でまだ中途半端な大人子供なんだと思います」

 同じ立場の瀬戸や星は、元来の性格もあるのか「思い切ったトライができる」と内定をポジティブに捉えていた。もちろん渡部よりも年齢を重ねている分、人間として成熟していた面もあるのだろう。しかし、渡部にはまだそこまでの余裕がなかった。

 立ち直るきっかけとなったのが、1月30日と31日に行われた東京都選手権だった。渡部は200メートル個人メドレーで4位(2分13秒80)、200メートル平泳ぎで9位(2分30秒08)と惨敗を喫したのだ。ショックのあまり取材エリアはおろか、会場を出るときまで涙が止まらなかった。しかし、それで逆に目が覚めた。東京都選手権の翌日に竹村コーチと話し合い「暗闇の中からようやく抜け出せた」(渡部)。現実が一番の刺激になる。

「水泳に対する考え方が、世界選手権以降はずっと自分の中でもやもやしていました。練習でも『泳ぐの嫌だな』とか、『ここで辞めたら気持ちも楽になるのかな』とか、そういうことばかり考えていたんですけど、東京都選手権で負けて『やっぱりこのままじゃダメだな』と思ったんです。気持ちを切り替える良いきっかけになったし、きちんと練習できたら水泳が楽しいと思えるようになりました」

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