ブルサスポルで再生を図る細貝萌 新天地トルコで取り戻した自分らしさ

島崎英純

症状が和らぎ試合に出場

トルコリーグ第10節シバススポル戦はホームで19時キックオフ。緑色のチームカラーに施されたスタンドが徐々に埋まっていく 【島崎英純】

 細貝に会った日はトルコリーグ第10節、ホームのシバススポル戦前々日のことだった。

「今回もベンチ入りぎりぎりかもしれない。帯同メンバーに入れなかったら、同じようにスタンドで観ることになるね(笑)」

 そう言って、悲しそうに笑った。彼はまだ、自らの尊厳を取り戻せない状況にいた。しかし一筋の光明もある。彼はこちらに手を差し出して、こう言った。

「見て。今は手が荒れていないでしょ。やっと症状が良くなってきて、睡眠もちゃんと取れるようになってきた。もし次、試合に出られるチャンスがあったら、そこが勝負だと思う」

 15年10月28日。アタトゥルク・スタジアムへ赴いた。少なくとも周りに日本人はいないどころか、他国の観光客の姿も見当たらない。ほとんどが現地のトルコ人で、男女比率はだいたい8:2。屈強な男たちがトルコ紅茶のチャイを飲む姿は微笑ましいが、周囲で大声で怒鳴るようなチャントが発生すると、思わず耳を塞ぎたくなる。

 シバススポル戦の細貝はベンチ入りしていた。試合前のウォーミングアップでは他の控えメンバーとボール回しに興じ、入念に準備を整えていた。

 試合はスコアレスの拮抗した展開が続いた。双方素早くシンプルなボールタッチでゴールに迫るダイレクトサッカーを仕掛け、迫力ある攻防に約1万人が詰め掛けた観衆も興奮度を高めていく。

 両チームスコアレスの状況が続いた52分、サーラム監督が動いた。ゴール裏のウォーミングアップ場に居た背番号21が振り向く。細貝だった。サーラム監督の指示に深く頷き、さっそうとピッチへ入る。すぐさまキャプテンのセンターバック(CB)、セルダル・アジズを呼び止めて一言、二言会話を交した。その後、3分間、彼はボールに触れずにいたが、その仕草からは動揺も焦りも感じられなかった。

「できるだけ早くボールに触りたいなと思っていたけれどね。だけど、中盤中央に入った選手が焦るような素振りを見せたらチーム全体が落ち着きをなくしてしまうから。そこは、『大丈夫。俺がいるから』ってメッセージを味方に送ろうとしていた」

チームの信頼を集め先制ゴールの起点に

 細貝が初めてボールを受けたのは右サイドバックのエムレ・タスデミルとのワンツーでのパス交換だった。彼は味方にいったんパスを送り、すぐさま「俺に返せ!」と怒鳴って再びボールを保持した。

「うん。練習では主張しないけれど、試合ではするよ(笑)。欧州では信頼されないと試合でパスが来ない。その意味では、今のチームでは要求するとすぐにパスをくれる。皆、俺のことを信頼してくれているのかな。それはうれしいな」

 浦和在籍時代の細貝はチーム内で若手の部類に入り、日本代表クラスのスター選手を支えるべく黙々とプレーに専心するタイプだった。しかし今の緑のユニホームを着る彼は当時とは別人だった。プレーが途切れると、すぐさま味方選手を捕まえて身振り手振りでコーチングする。仲間は何度も頷き、手でOKサインを出して踵を返していった。キャプテンでCBのアジズが負傷交代して突然チームの布陣が変更された際は、サーラム監督が彼を呼んで子細な指示を送るシーンもあった。紛うことなく、細貝はチームの中心にいた。

 78分、中盤で細貝が相手ボールを奪取し、ドリブルで持ち上がった末に右サイドへパス展開する。ボール保持したMFミロスラフ・ストッフがクロスを送り、ゴール中央でFWイサーク・クエンカがフィニッシュして、ブルサスポルに先制点が生まれた。

「俺が起点? そうだったっけ? 覚えていない。無我夢中だったのかな(笑)」

 先制後、チームは1点を守る守備陣形へシフトする。その中で細貝は猛攻を浴びせる相手に一切怯まず、強烈なタックルとチャージでボールホルダーへ襲い掛かった。そして気温が10度を下回り肌寒くなった夜の20時半すぎ、彼の情熱が爆発した。

苦悩の中で導き出した答え

スタジアム近くの売店でチャイを飲むサポーターたち。シバススポル戦後、彼らが細貝を見る目は確実に変わったようだ 【島崎英純】

 相手GKがハイパント気味のゴールキックを蹴る。すると細貝は相手の背後から長い助走を取りジャンプ一番、頭二つ抜け出してボールを弾き飛ばした。その瞬間、スタジアム全体の観客が「ウォー!」と絶叫した。

「ヘディングで競り勝った瞬間にスタジアム中がドッと沸いたのは、俺も分かったよ。気持ち良かった。それで思った。今日は自分らしいプレーができたなって。チームも1−0で勝利できたしね。最近はベルリンも含めてずっと、自分らしさってものを出せなかったんだけれど、今日はそれができた。でも、これを今後も続けていかなくちゃ意味がないよね。気を抜かずに戦っていくよ。このブルサでね」

 ブルサの人々は190センチ近くの身長を誇る相手に競り勝つ小さな日本人のポテンシャルを知った。練習を観ているだけでは分からない。極限状態の中でこそ光り輝く細身のサッカー選手。彼が苦悩の中で導き出した答えは、闘い続けること。原点に立ち返った細貝は今、新たなる境地を得た。

 試合後、興奮したブルサスポルサポーターから英語で声を掛けられた。

「何なんだよ、あの小さな日本人は! すさまじい勢いじゃないか。あんなにパワフルで、情熱的な選手だったなんて思わなかったよ」

 息づいている。鼓動が聞こえる。遠きかの地で、全力を尽くしている。境遇や環境に左右されない。ステージに貴賎などない。僕は負けない。必ず立ち上がる――。

 ある日、日本のニュースで、こんな一報が流れた。

『サッカーのトルコ1部リーグ、ブルサスポルの細貝萌は、ホームのシバススポル戦に後半9分から出場した。試合は1−0で勝った』

 澄み渡る空気の漆黒のブルサで、細貝萌が敢然とピッチに立っていた。凛々しく、逞しく、正真正銘の闘士が、そこにいた。

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著者プロフィール

1970年生まれ。東京都出身。2001年7月から06年7月までサッカー専門誌『週刊サッカーダイジェスト』編集部に勤務し、5年間、浦和レッズ担当記者を務めた。06年8月よりフリーライターとして活動。現在は浦和レッズ、日本代表を中心に取材活動を行っている。近著に『浦和再生』(講談社刊)。また、浦和OBの福田正博氏とともにウェブマガジン『浦研プラス』(http://www.targma.jp/urakenplus/)を配信。ほぼ毎日、浦和レッズ関連の情報やチーム分析、動画、選手コラムなどの原稿を更新中。

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