菊花賞◎はステイ産駒の弟ジュン=「競馬巴投げ!第108回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

宮前橋の下、葦原に現れる三人の男

[写真1]神戸新聞杯を快勝したリアファル、人気もうなぎのぼりだ 【写真:乗峯栄一】

 淀競馬場の西、桂川にかかる宮前橋の下には密生した葦原がある。菊花賞の頃になると枯燥して、一面薄茶色に染まるが、それでも葦の根は強く、崩れ落ちることはない。夏と変わらず人の背丈ほどもある広大な原が続く。

 ごくわずかな人間にしか知られていないが、菊花賞の日、この葦原に入って小便しようとする不届き者がいたら、三人の男が現れる。「菊の紋章を守るためらしい」などと一部で噂されている。

橋、好きですか?

[写真2]こちらも人気上昇、連勝中のスティーグリッツ 【写真:乗峯栄一】

 もう10年ぐらい前だ。友人が車を桂川の西の駐車場に止め、歩いて宮前橋を渡るとき小便したくなったからと、橋の下に行ったらしい。小便を終えて、チャックを上げようとしたとき、すぐ横の葦原の中に、こっちを見ている三人の男がいるのに気づく。

「な、何や」と言うと「小便したんですね?」と一人が葦の群れに半分身を隠しながら聞く。「ああ、小便した。小便したよ。ええやないか、こんな草むらに小便したって」とにらみ返す。

「あ、いいんです」とその男は小さな声を出す。

 三人ともグレーの薄汚れたマントのようなものを羽織り、頭にはくすんだ黄色のヒョウタンのようなでかい帽子をかぶっている。この葦原で生活する浮浪者たちのようにも見えるが、普段の競馬の日には見かけたことはない。いったいどういう人間たちなのか。

「どんどんして下さい、小便ね」と問いかけてきた男がまた小さな声を出す。

 どんどんして下さいねとは何だと、友人が憤然とチャック上げて、橋の上に戻ろうとすると「橋、好きですか?」と別の一人が聞く。

「は?」

「橋、好きですか?」

「はあ? 好きでも嫌いでもないよ。ただ橋の下には茂みがあるから、そこで小便しようかと」

「そうですか、好きでも嫌いでもないですか」と男たちは不得要領な問答を繰り返す。

五月みどりと小松みどりって姉妹だったじゃないか

[写真3]500万、1000万を連勝中のワンダーアツレッタ 【写真:乗峯栄一】

「何だ、あんたたちは」と友人は思わず聞き返す。失敗だった。やつらはその問いを待っていた。こっちの質問が終わらないうちに、一番左の痩せて背の高い男が目の前の葦を分け開いて「わたしは山崎太郎です」と名乗る。続いて「わたしは瀬田二郎です」と真ん中の小太りの男が名乗り、右端の小柄な貧相な男が「宇治三郎です」と名乗る。

「ぼくたち、三兄弟なんです」と、いい歳したおっさん三人が、まるでトリオ漫才のトッツキのように、声を合わせて言う。

「え、兄弟? 兄弟って、え? 苗字が違うじゃないか」と友人が漏らす。これも間違いだった。ここぞとばかり、おっさんたちは高揚してくる。

「苗字が違う? おい、いまこの人、兄弟なのに、苗字が違うっておっしゃったぞ」と宇治三郎と名乗る右端の貧相な男が言い、瀬田二郎を名乗る小太り男がさらに葦を掻き分けて一歩出て「松本幸四郎と、市川染五郎と、松たか子って一家なんだぞ。幸四郎の弟は中村吉右衛門なんだぞ。みんな苗字が違うじゃないか。ぼくたちに抗議するのなら、あの親子にまず抗議しろ」と訳の分からないことを言う。

「五月みどりと小松みどりって姉妹だったじゃないか。“だった”って過去形使ったけど、いまだってまだ姉妹のはずだ。ちょっと古い人間ならみんな知っている」と宇治三郎も一緒に前へ出てきて抗議する。「苗字は違うけど、下の名前が同じで、姉妹なんだぞ。おかしいだろ? おかしいと思ったら、すぐ抗議しろ」

「そうだ。姉の五月みどりが“一週間に十日来い”とかいう訳の分からん唄を歌ったら、妹の小松みどりは“ポチャポチャ小唄”とかいう更に訳の分からん唄を歌ってデビューした。姉が“五月みどりのかまきり夫人”という映画に出たら、妹は“小松みどりの好きぼくろ”という映画に出た。意味不明・前後不覚・空前絶後姉妹だ」と瀬田二郎が言う。

「いやまあ、そんなことはどうでもいい、どうでもいいが、姓が違って名が同じでも、なろうと思えば姉妹になれる、親はいったい二人を何と呼んでたんだ? “大きいみどりちゃん”に“小さいみどりちゃん”か? そんな長たらしい呼び方するぐらいなら、“みどり”と“きみどり”ぐらいにしといたらどうだと、わたしたちは、つまりそういうことが言いたい」と宇治三郎も抗議する。まったく何を言っているのか分からない。

 ただ一人、長男のような名前の山崎太郎だけは、なぜか後ろに控えたまま葦の間からこっちを見ている。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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