菊花賞◎はステイ産駒の弟ジュン=「競馬巴投げ!第108回」1万円馬券勝負

乗峯栄一

何だ、その曖昧ミー・マインは

[写真4]栗東で調整した関東馬ブライトエンブレムと担当の本田助手 【写真:乗峯栄一】

「それでね、これね」と瀬田二郎を名乗る男がヒョウタンのような帽子を押さえると、宇治三郎も、後ろの山崎太郎もそれが合図のように自分の帽子を押さえて「欄干(らんかん)の擬宝珠(ぎぼしゅ)」と3人で唱和する。

 友人は訳が分からず首をひねりながら、橋の上に戻ろうとすると、今度は一転しんみりした口調になって「わたしたちは“都の守り橋”三兄弟なんです」と瀬田二郎が言う。「このお揃いの金塗り擬宝珠が自慢の“都守(も)り三兄弟”だったんです」と瀬田二郎が金色ではなく、くすんだ黄土色のようになった帽子を指して言い、宇治三郎が「でも今はみんな橋を使わず、淀の湿地を渡って事を済ませようとする。使うのは、昭和の巨椋(おぐら)池干拓が終わってから出来た、新参者のこの宮前橋だけだ。都の象徴・菊の紋が立つ、この菊花賞の日でもそうだ」と言う。

 何か深刻なのかもしれないが、もうそろそろ5レースが始まると、友人が歩き出すと「特にかわいそうなのは、うちの長兄の山崎太郎だ」と瀬田二郎が大声を出す。後ろを向き「兄貴、出てこいよ、どうしてそんなに引っ込み思案なんだ、せっかく、この人が話を聞こうと言ってくれてるのに」と促す。「いや、別にわたしは話を聞こうとは思ってないんだけど」と友人が呟く。

 ごそごそと葦の間を出てきた山崎太郎を指し示して、「このうちの長兄なんか、一番年上、それも並の年上じゃないぞ。おれたちより二百歳は年上、なんせ、この兄貴、こう見えてもう千三百歳、あの奈良時代の普請菩薩と言われた行基上人と友達だったんだ。その由緒正しき、世界長寿番付に載ってもいいぐらいの格式を持っているのに、もう七百年も住む場所をなくしている。七百年の路上生活者だ、そんな年季の入った路上生活者が難波の地下街にいるか? 梅田の泉の広場にいるか? どうだ?」

「はあ、まあいないでしょうけど……」

「いないでしょうけどとは何だ、その曖昧ミー・マインは」

「つまらないギャグ入れるんじゃない、次兄の悪い癖だ、大事な話をしてるのに」と宇治三郎が制して「あなた、今日大阪の方から来たんじゃないの?」と友人の方に向き直って聞く。「ああ、まあ」と答えると「山崎から淀に来るのにいっぺん長岡京まで行ってない? 長岡京に入ってそこからこの宮前橋を通って淀に向かってるんじゃない? そうでしょう? それはなぜだ?」

「それは道がそうなってるから……」

「道じゃない、橋だ!」と、それまで静かにしていた山崎太郎が急に甲高い声を上げる。「道じゃない、橋だ。橋がないから道が迂回するんだ。橋がないから……」と感極まって、山崎太郎は泣き声になってくる。

我々は菊花賞三兄弟勝利の預言を持ち来たった者だ

[写真5]同じく栗東で調整したマッサビエルと担当の中尾助手 【写真:乗峯栄一】

「兄貴、それが兄貴の悪い癖だ、すぐ感情入れてしまうから、もっと理路整然と冷静に話さなきゃ、この立ち小便の人だって分かってくれない」と宇治三郎は山崎太郎を制して自分で話し出す。「ああ、思えば元歴(げんりゃく)元年、1184年正月、雪のちらつく寒い朝だった。都を占拠する木曾義仲をうち破るため、鎌倉から進んできた源氏軍は尾張の国で二手に分かれる。頼朝の腹違いの弟・範頼(のりより)率いる本隊は美濃から近江に入り、瀬田二郎から都に入ろうとした。もう一人の腹違いの弟、あのね、つまり源氏の兄弟はみんな腹違いなんよ。苗字は違っても“一つ腹”のオレたち三兄弟とは違う。とにかくその腹違い弟、義経率いる別働隊は伊勢から伊賀、信楽(しがらき)、そこから田原川沿いを下って、宇治三郎を越えて都に入ろうとした。そうなんだ。義経軍は“ノーザンファームしがらき”から“宇治田原優駿ステーブル”を通って都に入ろうとしたんだ。もちろん木曾義仲にぬかりはない。瀬田二郎も宇治三郎もいち早く、源氏軍を阻止するため、川の中に叩き落とされていた。瀬田はそれでも南側に“田上の供御(くご)の瀬”という浅瀬があって、瀬田二郎が落とされても範頼軍は何とかなった。しかし宇治にやってきた義経軍はこのとき何と言ったか? “宇治川ぞ渡るべき、淀・一口(いもあらい)へや回るべき”だ。これが決めゼリフだ。都を攻めるときの常套句だ」と貧相な宇治三郎が涙声になる。

「また、三郎の自慢話や。長兄の山崎太郎がかわいそうだとか、何のかんの言いながら、こいつは結局自分の自慢話がしたいんや。いまの宇治橋なんて、ただ観月するための観光ミーハーのための橋にしかなってないのに」と瀬田二郎が言うと「そうだ」と山崎太郎が顔を起こす。「とにかく天王山のふもと山崎から石清水八幡宮のある八幡橋本へ、橋本だぞ、橋は必ずあったんだ、その橋本へかかる橋は古来、平城京の頃から変わらず畿内交通の要だった。だから“山崎は太郎だ、瀬田よりも、宇治よりも兄さんなんだ”と言われてきた。しかし、いつのまにか長兄のはずの、一番歴史が古いはずの山崎太郎橋は叩き落とされ、いまもって影も形もない。ただただ悔しい」

 そう言って、長兄太郎は泣き出す。涙をぬぐう長兄と末弟を両脇にして、瀬田二郎が言う。

「この宮前橋は競馬場に通じる橋だ、今日は菊花賞だって? 我々三兄弟も喜んでいる。でもいつも残念に思っていることがある。兄弟菊花賞はメジロデュレン・メジロマックイーンと、ビワハヤヒデ・ナリタブライアンがある。しかし三兄弟で勝ったことはまだない。我々はその三兄弟勝利の預言を持ち来たった者だ。われわれ山崎太郎、瀬田二郎、宇治三郎はダンゴ三兄弟じゃない、ブー・フー・ウーの子豚三兄弟でもない。あえて言えば救世主の誕生をベツレヘムの馬小屋に知らせに来た“東方の三博士”兄弟だ。この辺に馬小屋があるだろ?」

「は?」

「馬小屋だ、あるだろ?」と泣いていた宇治三郎が詰め寄ってくる。

「そりゃまあ、競馬場には今日走る馬が集まっている馬小屋がいっぱいあるけど」

「そこに救世主が生まれているはずだ。我々三兄弟がこの宮前橋の下に集まっているのが何よりの証拠だ」

「へえ……」

「“へえ”とは何だ。お前は曖昧ミー・マインか」とまた瀬田二郎が同じギャグを言う。

「ああ、我ら東方にて星を見たり。星を見たれば、黄金、乳香、没薬(もつやく)の三つの宝を持ちてベツレヘムに来たれり」と、これも泣いていた山崎太郎が空を指さして突如大声を出す。

「ああ、案内してくれ、淀のベツレヘムを、淀のベツレヘムの馬小屋を。そこに救世主が生まれている。“同腹三兄弟”が無理なら、“違(たが)え腹三兄弟”でもいい。さあ案内しろ。案内しないのか。さてはお前は救世主を殺そうとしているヘロデ王か」

 三兄弟が薄汚い身なりで訳の分からないことを言って迫ってきたので、友人は慌てて橋から離れた。不気味だったが、橋から離れれば、やつら、追いかけてくることはなかった。

 今日も宮前橋の葦原に、きっと“都守(も)り三兄弟”が出没するはずだ。

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著者プロフィール

 1955年岡山県生まれ。文筆業。92年「奈良林さんのアドバイス」で「小説新潮」新人賞佳作受賞。98年「なにわ忠臣蔵伝説」で朝日新人文学賞受賞。92年より大阪スポニチで競馬コラム連載中で、そのせいで折あらば栗東トレセンに出向いている。著書に「なにわ忠臣蔵伝説」(朝日出版社)「いつかバラの花咲く馬券を」(アールズ出版)等。ブログ「乗峯栄一のトレセン・リポート」

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