アイマールらしい引退の決断 苦痛を感じながらサッカーは楽しめない

藤坂ガルシア千鶴

チームメートに送ったメッセージ

華麗なプレーで人々を魅了してきた元アルゼンチン代表MFアイマールが引退を決意した 【写真:ロイター/アフロ】

「パブロ・アイマール、引退か」

 そんなニュースが突然私の耳に飛び込んできたのは、7月14日、コパ・リベルタドーレス準決勝リーベル・プレート対グアラニー戦の直前のこと。チームに密着しているリーベルの番記者たちがつかんだ信ぴょう性の高い情報とのことだった。

 その時は、公式発表もないのに、ほんの2カ月半前に感動的な復帰を果たしたばかりのレジェンドが引退するという重大なニュースを流していいわけがない、確かな情報が入るまで信じたくないと思った。なにせアイマールは最愛のクラブで14年ぶりにもう一度プレーすることを熱望していて、やっとその夢を実現させたばかりだったのだ。

 半信半疑でいた私を説得するかのように、知り合いの記者から決定的な証拠が送られてきた。それは、アイマール自身がチームメートたちに送ったという携帯メッセージのコピーだった。

「フィジカル的にみんなと対等のレベルでいられるように最善を尽くしたけれど、昨日、自分がコパ・リベルタドーレスのメンバーに入らないことを告げられた。他の誰かに与えられるべきポジションに居座り続けたくはないから、(監督の決断を)理解して、引退を決意した。これからもピッチの外から応援しているよ。君たちに相応しいすべてのタイトルを勝ち取ってもらいたいと願っている」

 納得できる内容だった。ドラマチックに飾ることなく、伝えたい要件だけに絞り、冒頭にも末尾にもチームメートたちへの感謝の言葉がつづられた短いメッセージの中に、謙虚で、シンプルで、潔いアイマールらしさが凝縮されていた。と同時に、16年前に初めてアイマールに会ったときのことを思い出さずにはいられなかった。

ピッチ上とは対照的に内気な少年

「話が下手だから」と取材を断った当時のアイマール。恥ずかしがり屋で口数の少ない少年だった 【Javier Garcia Martino / Photogamma】

 1999年、私は彼にインタビューを申し込むべく練習場に足を運んだが、あっさり断られるという苦い経験をしている。あどけない顔で申し訳なさそうに「だって僕、話が下手だから」と言われ、返す言葉さえ思いつかなかった。

 当時のアイマールは、ハビエル・サビオラ、フアン・パブロ・アンヘルとの絶妙な連携からゴールを量産していた。この黄金トリオの活躍から、リーベルは99年後期、2000年前期のリーグ戦を連覇。96年に17歳でプロデビューし、97年にはマレーシアで開催されたワールドユース(現在のU−20ワールドカップ/W杯)で親友フアン・ロマン・リケルメと一緒に優勝に貢献した華麗なMFとして、その評価が世界規模で高まっていた頃だ。

 もともと恥ずかしがり屋で口数が少ないことは知っていたが、あのリケルメに「あいつからボールを奪うことはできない」と言わせたテクニックの持ち主からいろんな話を聞きたいと思っていただけに、取材を断られたことは非常に残念だった。

 ちょうどその日、スポンサーの計らいで何人かのファンがアイマールを訪ねるという企画があり、私もその場に居合わすことを許された。ファンと談笑していても、照れ臭さを隠せずにもじもじするアイマールを見ながら、ピッチ内での堂々たる、エレガントな振る舞いがより対照的に感じられたのを覚えている。

 後日、リーベルの育成部門のコーチに会う機会があり、アイマールに取材できなかったことを話すと、コーチは笑いながら言った。

「そりゃあ無理だろう。あの子は加入したばかりの頃、家に帰りたいと半ベソをかいていたくらい内気なんだから。でもそのうち必ず成熟する。もう少し時間を与えてやってくれ」

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著者プロフィール

89年よりブエノスアイレス在住。サッカー専門誌、スポーツ誌等にアルゼンチンと南米の情報を執筆。著書に「マラドーナ新たなる闘い」(河出書房新社)、「ストライカーのつくり方」(講談社新書)があり、W杯イヤーの今年、新しく「彼らのルーツ」(実業之日本社/大野美夏氏との共著)、「キャプテンメッシの挑戦」(朝日新聞出版)を出版。

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