ラウルとプジョルが歩んだ対照的な道 スペインの歴史に刻まれる2人の伝説
引退した2人の“象徴”
対照的なキャリアを歩んだラウル(左)とプジョル。スペインの象徴として刻んだ軌跡を振り返る 【Getty Images】
スパイクを脱いだ時期も、愛するクラブでセカンドキャリアをスタートする点でも同じだが、2人は対照的な選手であり歩んだ道も大きく異なっていた。
「今季終了後にバルセロナを出て行く」
3月4日、目を赤くしたプジョルが、会長や主力選手の他、反会長派のヨハン・クライフ、レアル・マドリー出身のカマーチョとフェルナンド・イエロらの前で発表。「君以上のプロ意識にあふれた選手は知らない。君はバルセロナの宝だ。ありがとう」と送り出したシャビが泣き出したというニュースを、「心残りはお別れができなかったこと」と語るラウルはどんな気持ちで見たのだろうか。
晩年は不遇だったラウル
レアル・マドリーでの晩年は不遇を強いられたラウル。シャルケに新天地を求め、ドイツでも多くのゴールを決めた 【写真:ロイター/アフロ】
では、何で得点を稼いだかというと、それは彼の献身的な動きだった。「ゴールの嗅覚」が優れていると一時盛んに言われたが、ボールが転がって来る場所にいる能力というのは超能力でも何もなく、ゴール前に詰める忠実なプレーの結果だった。もちろん、状況判断力がズバ抜けていたというのはあるのだろうが、普通の選手が諦めて足を止める場面でも、万が一のミスの可能性を信じて彼は走ることを止めなかった。
この献身性がレアル・マドリーでの晩年は「無駄走り」と呼ばれて、しばしば冷笑の対象となった。無駄に走っていたのではなく、走ったことが無駄に終わっただけなのに。ラウルは同僚だったジネディーヌ・ジダン、ロナウド、ルイス・フィーゴのように個人で状況を打開できる選手ではなく、周りを使い、使われることで生きる選手だった。だからチームの低迷はそのままラウルの低迷となった。04−05シーズンから06−07シーズンは気まぐれな天才集団、銀河系軍団の犠牲となって守備の負担が増加するとゴール数が激減。その後2シーズンは盛り返すも、ジョゼ・モウリーニョ監督就任でクリスティアーノ・ロナウドを中心とした高速カウンターが武器になることが予見されると、走力に衰えが見えたラウルはシャルケに新天地を見いだすことを決意する。
伝説化しているプジョルのブロック
その典型的なシーンが、バルセロニスタ(バルセロナファン)が彼を認めるようになった、2002年10月23日のCL、ロコモティフ・モスクワ戦でのプレーである。空っぽのゴールに立ちはだかったプジョルは、放たれた相手のシュートを右胸ではじき出した。ボールが当たったのがちょうどクラブの紋章が縫い込まれている部分で、エンブレムがゴールを防いだとしてバルセロナのファンの間では伝説化されている。せっかくこうして勝ち上がったCLでチームは準々決勝で敗退しているのだが、そんなことは今、誰も気にしていない。