入江陵介が挫折を経て取り戻した自信=世水の金メダルは「普通にいけば取れる」
13年には本来の泳ぎを見せることができず、4月の日本選手権100メートル背泳ぎで萩野公介(東洋大)に敗れると、8月の世界選手権バルセロナ大会では個人2種目で4位に終わった。一時は引退をほのめかすほど気落ちしていた入江に追い打ちをかけるかのように、9月には椎間板ヘルニアを発症。15歳の頃から指導を受ける道浦健寿コーチとの関係にも悩み、どん底の日々を送っていた。
それでも、たゆまぬ努力を続けた入江は14年アジア大会の100・200メートル背泳ぎで2冠を達成し復活すると、今年に入ってからも6月のヨーロッパグランプリで6連勝を飾るなど好調を維持。世界選手権では、再び世界の頂点が見えてきた。
険しい道のりを乗り越えた現在の入江は、つらい過去の経験を前向きに捉えている。金メダルについて自然体のまま、「普通にいけば取れる」とさらりと語るあたりからは、心の余裕や強さを感じさせた。ロンドン五輪後の苦しい日々は彼に何をもたらしたのか。当時を振り返り、そして、復活を果たした「現在の入江陵介」について語ってもらった――。(取材日:7月20日)
調子は上向き、現地での柔軟な対応が大事
だいぶ良い感じで、疲れも徐々に取りながらここまで来ています。あと一週間は日本にいるので、その間にしっかり仕上げていきたいと思っています。タイムは目標としていたものではなかったので、そこは少し残念でした。でも、それ以上に泳ぎの悪いところがはっきりしました。トレーナーさんと相談して足りない部分も分かったので、タイム以上の収穫はあったと思っています。
――タイムが良い時の泳ぎとは何が違うのでしょうか?
疲れの度合いなどによっても変わってくるので、どこと言うのは難しいです。そこは自分の感覚なので言葉には表せないですね。良いタイムで泳げているときは、それだけ感覚もいいと思います。ここ最近では(14年の)アジア大会の時が100メートルも200メートルも良いタイムだったので、そのときが一番良かったと思っています。
――良い時の泳ぎをするために、最終調整では何が必要なのでしょうか?
疲れを徐々に取りながら、ここからはバランスがより敏感になってくると思います。あとは、今は日本でやっていますけれど、ロシアに行ってから会場で水に慣れるというか、会場によって全然違ってくるので、柔軟な対応が大事だと思います。
ロンドン五輪はひとつの区切りだった
ロンドン五輪は一つの区切りだったんです。道浦コーチもロンドン五輪で辞めると話をしていましたし、僕も終わる気持ちでした。でも、ロンドン後も何もなく、ずっと一緒と言う感じだったので、お互いに良く分からない状態というか……。ロンドン五輪までがひとつの区切りだったのに、その区切りがないままずっと来ていました。なかなか自分自身の気持ちも切り替えられなかったですし、次の4年間がまったく見えない状態でした。新しいこともやらずに、ズルズルとやっていた感じがありましたね。そこに対してやりきれない思いであったり、このままでいいのかなと疑問に思っていた時期がありました。
――その後、あらためて道浦コーチと何か話をしましたか?
今も別にないんですけどね(笑)。そこは何も言わなくてもという感じだと思います。でも以前と比べて互いの意見を言ったり、最近はすごく話すようにもなりました。道浦コーチはもともと口数が少ない方でしたから。本人はいろいろと考えているようなのですが、僕が気にし過ぎてしまう性格というのも考慮して、それをなかなか言わない。僕はそういうのは言ってほしいタイプなんですね(笑)。そこも大会前だとか、2人の中でいろいろなスイッチがあって、その中でうまくやれています。お互い言いたいときは言いますし、今は本当にプロ意識を持ってやっていると思います。リオデジャネイロ五輪まであと1年なので、言うことは言って悔いのないようにしたいですね。
――幼いころから道浦コーチに見てもらっていますが、大人になって関係性は変わりましたか?
それまでは何人かと一緒にチームで見てもらっていたのが、ロンドン五輪あたりからマンツーマンになり、拠点を東京に移してからはより二人きりでの練習が増えました。マンツーマンは逆にきつくて、お互いにしんどかったりするデメリットはあります。でも、その反面やっぱり自分の都合や体調でメニューを変えてもらったり、自分のスケジュールで動けるというありがたさもあります。