KOデビュー辰吉寿以輝が紡ぐ新たな物語=これがプロやで――父・丈一郎からの檄

城島充

KOデビュー後の寿以輝と父・丈一郎のツーショットにカメラのフラッシュが集中した 【写真は共同】

 大阪・ミナミの府立体育会館周辺に、「JOE」の名を筆記体でデザインしたジャージを着込んだファンが集まる風景を見たのは何年ぶりだろうか。偉大なカリスマボクサーを父に持つ辰吉寿以輝(大阪帝拳)がデビュー戦を2回KOで飾ったこの夜、多くのボクシングファンはノスタルジックな気分に浸った――。

背中から肩の筋肉が父親似

父親・丈一郎の若いころを思い起こさせた背中から肩にかけての筋肉の付き方 【Photo:中西祐介/アフロスポーツ】

 寿以輝のリングインが近づくと、メディアのカメラはリングサイドに姿を見せた父・丈一郎氏に集中した。カメラ機能にしたスマートフォンを構えるファンの列も、花道の周囲に幾重にも広がっていく。アマチュア歴がなく、天才の名を欲しいままにした父曰く「ずぶの素人」のデビュー戦にこれだけの注目が集まるのは、ボクシング史上かつてなかったのではないか。

 リングに上がったときには気づかなかったが、試合開始のゴングが鳴り、アマチュア経験があり、プロでも3戦のキャリア(1勝2敗)を持つ岩谷忠男(神拳阪神)に左ジャブを伸ばしたとき、背中から肩にかけての筋肉の付き方が若いころの父親に似ているのに気づいてドキッとする。

 だが、当たり前の話だが、彼は辰吉丈一郎ではない。スムーズなシフトウエートから多彩なコンビネーションを美しく、強く打ちこんだ父とは違い、一発強いパンチを打つたびに微妙にバランスが崩れてしまう。拳のひきが甘く、打ち終わりにパンチをあわせられるシーンもあったが、18歳の新人ボクサーはすべてが未知のリングで、局面を一撃で打開できるパンチ力と勝負度胸を見せた。

どつき合いでのKOに「勝ったよー」

どつき合いの中、コンパクトな右で対戦者のアゴを打ち抜き、KO勝利を挙げた 【Photo:中西祐介/アフロスポーツ】

 初回終了間際、どつきあいの展開から力感にあふれた左フックでダウンを奪うと、2回には左ジャブで2度目のダウンを奪う。試合を終わらせたのは右の2発だったが、最初の拳がかぶせるような軌道を描いたのに対し、2発目の拳はコンパクトに最短距離で岩谷のアゴを正確に打ち抜いた。もし、実戦のなかでパンチの軌道を修正することを覚えたのならば、キャリアを積むたびにさらなる伸びしろを感じさせてくれるかもしれない。

 リングの上で勝利者インタビューを受ける息子が「勝ったよ〜」と家族に語りかけたとき、父はコメントを求めようとする報道陣に背を向けながら、控え室の通路を歩きまわっていた。なにを話せばいいのか、しばらく考える時間が必要だったのかもしれない。
「親バカと言われるかもしれんけど、大したものは大したもの」
 今も引退を口にしていない44歳のヒーローがようやく絞り出したのは、そんな言葉だった。

父子のツーショットにフラッシュ集中

父親とはまた違う寿以輝ならではの新たな物語を紡いでいく 【Photo:中西祐介/アフロスポーツ】

 辰吉丈一郎が初めてWBCバンタム級王者になったとき(1991年)、筆者は新聞社の1年生記者として岡山の支局に勤務していた。休暇をもらい、リングサイド6万円のチケットを購入して守口の体育館に向かったのだが、あのとき、目の前で天才ボクサーが見せてくれた左ジャブのキレと、全身がバネのような身のこなしは今も目に焼き付いている。その後、社会部記者として大阪本社で勤務しているときも、可能な限り、彼の試合はチケットを購入して観た。取材パスを手にいれることも可能だったが、辰吉の試合だけはお金を払って見たい――という思いがずっと胸の底にあったからだ。

 97年11月22日難攻不落と思われたシリモンコン・ナコントンパークビューを激闘の末に倒して3度目の世界王座に就いたときも、大阪城ホールのリングサイドにいた。あのとき、リング上で抱き上げられていたのが、当時1歳8カ月だった寿以輝である。

 まさか、息子のデビュー戦について語る彼を取材する機会があるとは思ってもみなかったが、この夜、私たちが触れたのは時の流れとともに終章を迎える物語と、全く違う筆致で序章が始まる新たな物語である。父の丈一郎氏が紡いだ天賦の才と不屈の精神の物語は彼だけのものであり、寿以輝がこれから紡いでいくのは、彼だけの物語である。

 父子のツーショットが実現すると、カメラのフラッシュが集中した。「雷のようにすごいな」と、父が息子に笑いかけた。「これがプロやで」とも。その短いフレーズに、どんな真意があるのか、第三者にはわからなくても、息子には伝わったはずである。
  • 前へ
  • 1
  • 次へ

1/1ページ

著者プロフィール

関西大学文学部仏文学科卒業。産経新聞社会部で司法キャップなどを歴任、小児医療連載「失われた命」でアップジョン医学記事賞、「武蔵野のローレライ」で文藝春秋Numberスポーツノンフィクション新人賞を受賞、2001年からフリーに。主な著書に卓球界の巨星・荻村伊智朗の生涯を追った『ピンポンさん』(角川文庫)、『拳の漂流』(講談社、ミズノスポーツライター最優秀賞、咲くやこの花賞受賞)、『にいちゃんのランドセル』(講談社)など

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント