コンディショニングが高めるサッカーの質=日本人フィジオセラピストが学ぶ本場の理論

中田徹

オランダでフィジオセラピストの道へ

「サッカーの質を高め、子どもの夢になる」という目標に向かい、オランダに渡った相良(中央) 【写真提供:相良浩平】

 筑波大でスポーツ医学を勉強しながら、サッカー部でトレーナーをしていた一人の男がいた。その名は相良浩平。「卒業したらさらにどこかで勉強して、Jリーグに行きたい」という夢を抱いていた。
 しかし、当時のJリーグのトレーナーは鍼灸(しんきゅう)系が中心で、相良が極めようとしていたスポーツリハビリ専門のフィジオセラピストを教育する学校はなかなかなかった。
 この分野では米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドが進んでいたが、将来サッカーの世界で生きることを考えれば行き先は自ずとヨーロッパになった。

「オランダはいいぞ。オランダはサッカー先進国だし、フィジオセラピーも進んでいる。この分野では世界一だ」

 大学の先輩からこうアドバイスを受けた。「世界一はさすがにおおげさだな」と思いながら、相良は自分でも情報を探してみた。すると、オランダにはスポーツフィジオセラピーという資格があり、スポーツに特化した教育をしていることも分かった。日本では医者の権威が強く、フィジオセラピストとは“縦の関係”だが、オランダだと同等に“横の関係”だということも知った。しかもオランダはサッカー大国。よし、オランダに行こうと決めた。2003年4月だった。

6シーズンを過ごしたユトレヒト

 同年9月から、ユトレヒトのティム・ファン・デル・ラーンというフィジオセラピストを育てるための職業高等学校に通い始めた。高等学校と言っても日本でいう学士がもらえる。授業はすべてオランダ語。ろくに言葉もしゃべれずクラスメートからバカにされた。しかし、相良は10月末のテストで160人中10番という好成績を収めた。とにかく猛勉強したのだという。
「お前、言葉もできないのにスゴいな」とクラスメートは逆に相良に「勉強を教えてくれ」と言ってくるようになった。

 ティム・ファン・デル・ラーンにプロサッカークラブのユトレヒトから「ユースチーム、フィジオセラピストの実習生募集」の案内が来た。
「おれ、それがやりたいんです」と学校に言った。すると学校はユトレヒトに「彼はまだオランダ語がうまくないけれど、スゴく頑張るんですよ」と推してくれた。オランダに来て2年目にして早くも相良は、プロサッカークラブのユースチームのトレーナーになったのだ。

「しかし、学校の人は僕を信用していても、ユトレヒトがわけの分からない日本人を信用していたわけではなかった」と相良。「だから最初は補充要員。僕は火曜の練習と土曜の試合のためにスケジュールを空けておいて、ほかのトレーナーが風邪などで休んだ時に呼ばれていた。特にC1(U−13)のフィジオセラピストがよく休むやつだったんで、僕が頻繁に行ってたら良くしてもらえるようになった。翌シーズンから僕はB1(U−16)の専属トレーナーになった。ユトレヒトでは合計6シーズン、トレーナーをやりました」

衝撃を受けたレイモンドの理論

 ユトレヒトを辞めた09年の前の年、相良はティム・ファン・デル・ラーンを5年かけて卒業していた。卒業の数年前から、相良は将来に不安を持ち始めた。ユトレヒトで経験を積めたのは大きかった。しかし相良にはサッカーの世界で活躍する一流のフィジオセラピストになりたという目標があった。そこで「一流とは何か」という根本のところの壁にぶつかってしまったのだ。

「サッカーはもちろん魅力的なスポーツで、世界で一番愛されているという背景の中で、質の高いサッカーを多くの人が見られるようにする。それを見た子どもが夢を持つ――そこに僕は貢献したかった。しかし、当時の僕にとってフィジオセラピストが目指す夢とは思えなかった」

 世間一般のフィジオセラピストのイメージは、けがをした選手にリハビリをさせ、早く実戦に復帰させることだ。相良もそう思っていた。『サッカーの質を高め、子どもの夢になる』という目標とはかけ離れていた。

 そんなころ、相良が資料を漁っていたら、レイモンド・フェルハイエンの『サッカーのピリオダイゼーション』という理論があるのを知った。「これはスゴい」と相良は思った。「それまでのコンディショニングの本は、『コンディショニングとは何か』から始まり、“持久力”、“スピード”、“パワー、”“柔軟性”の4要素を特徴付けし、そのトレーニングの方法の記載があって、最後に各競技に当てはめていた。しかし、レイモンドの本は、『サッカーとは何か』から始まる。サッカーにはアクションがあり、その頻度を90分間持続させるスポーツ。サッカーのレベルが高くなるということは(1プレー辺りの)時間とスペースが限られてくるということ。そのなかで何が大事かというとアクションの質と頻度を高めること。要は今まで自分が勉強していたことと逆方向に理論が進んでいた。今までは運動生理学をサッカーに当てはめていた。レイモンドはサッカーを出発点としてコンディショニングを考えていた」

 しかも、この理論はオランダ人の指導者なら誰でも知っていることだった。
「オランダサッカー協会の指導者講習2級の6割はピリオダイゼーションが占めてます。07年、僕も頼み込んで受講させてもらいました(※巻末リンク『オランダサッカー5つのエッセンス』参照)。それが始まり。それから僕はレイモンドが開催する講習会、オランダ・フットボール・アカデミーに通うようになりました」

 スピードのトレーニングとはひざを高く上げ、足の回転、ピッチの長さ、重心をどうするかだと相良は思っていたが、レイモンドの考えは違った。ボールが出るとき、どこのポジションにいればいいのか、どのタイミングでアイコンタクトをとって走り出すのがいいのか、どういう風に相手とボールの間に入ればいいのか――単純なスピードを改善するより、サッカーではサッカーの要素を取り入れて考えることの方が大事なのではと説いた。
「“サッカーのスピード”ということを考えればレイモンドの言うことの方が理に適っているな」と相良は思った。

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著者プロフィール

1966年生まれ。転勤族だったため、住む先々の土地でサッカーを楽しむことが基本姿勢。86年ワールドカップ(W杯)メキシコ大会を23試合観戦したことでサッカー観を養い、市井(しせい)の立場から“日常の中のサッカー”を語り続けている。W杯やユーロ(欧州選手権)をはじめオランダリーグ、ベルギーリーグ、ドイツ・ブンデスリーガなどを現地取材、リポートしている

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