元キャプテンが語る2006年の蹉跌=W杯招致アンバサダー、宮本恒靖インタビュー(後編)

宇都宮徹壱

ドイツ大会から4年――宮本の現日本代表への思いとは 【宇都宮徹壱】

 2022年ワールドカップ(W杯)の招致アンバサダーを務める宮本恒靖(ヴィッセル神戸)に話を聞いている。02年、そして06年と、過去2回のW杯に出場している宮本。だが、その輝かしい代表でのキャリアは、突如として途絶えてしまう。06年6月18日のクロアチア戦。宮本は初戦に続いてイエローカードを受け、グループリーグ第3戦はサスペンドとなってしまう。結局、日本はグループリーグ3戦で本大会の舞台から去り、そして宮本はあれ以来、代表のユニホームに袖を通していない。
 あの「蹉跌(さてつ)」とも言える経験から4年の歳月が経過し、W杯の季節を迎えた今、当人の胸中に去来するものは何か。そして現在の代表への思いとは、どのようなものなのか。あまり思い出したくないであろう質問に対して、それでも元キャプテンは真摯(しんし)な態度で語ってくれた。(取材日:5月17日 インタビュアー:宇都宮徹壱)

06年大会は自国での大会以上に難しい大会だった

――ここからは、前回のドイツ大会についてお話をうかがいたいと思います。今大会はなかなか盛り上がらないですけど、4年前は異常なくらいに国民的な関心が代表に集まっていました。当時のことを思い出されたりしますか?

(4年前の今ごろは)そろそろキャンプが始まるころですね。天皇・皇后両陛下にごあいさつに伺ったこともありました。そうですね、盛り上がりはありましたね。

――もう遠い昔のことですか、それともついこの間のような気がしますか?

 ついこの間ではないです。いろいろ、この4年であったなと思います。

――この4年の間に、日本人のW杯への関心や日本代表を取り巻く状況も大きく変化しました。このギャップを客観的にどのように思われますか?

 サッカー界としては寂しいですけれど、チームにとってはいいんじゃないかと思います。過剰な熱狂がない分、プレッシャーもそれほど感じないでしょうし。

――やはり4年前は相当にプレッシャーを感じていらっしゃいました?

 ありましたね。もちろん(周囲からの)プレッシャーもありましたけど、自分たちも大会に対して期待していた部分もありましたから。

――02年も自国開催という意味でプレッシャーがあったと思うのですが、06年と比較していかがでしたか?

 02年の大会を経験した分、06年でさらにいい結果を出さなければいけないというところのプレッシャーはありましたね。大会を知ってしまった分、逆に難しくなるというところはあったと思います。

――前回大会、メンバー発表からオーストラリアとの初戦を迎えるまでの間の準備期間で、チームとして、あるいは個人として、苦労されたところはありましたか?

(W杯直前の親善試合の)ドイツ戦では「今、どれくらいのレベルにチームがあるんだろうか」と思ってプレーをしてみて、手ごたえをつかむことができました。「これはいけるかな」というところがあったんですが。でも、その後のマルタ戦から(グループリーグ)初戦にかけてのチームの持っていき方というか……。どうしても同じところにいる期間が長かったので、中だるみが出てしまって。それがもったいなかったですね。

バイオリズムを狂わせた直前のマルタ戦

06年大会について、宮本は「チームをひとつにもっていく強さがなかった」と自身を振り返る 【Photo:築田純/アフロスポーツ】

――チームのバイオリズムって、ちょっとしたことで上がったり下がったりするという経験は何度もされていると思うんですが、特にW杯直前というのはその振幅が激しかったんでしょうか

(当時の代表監督の)ジーコの考えも分かるんです。ちょっとレベルの落ちるマルタを相手に、たくさんゴールを取って、いいイメージで本大会に向かおうという。ただ、それをデュッセルドルフの日本人ばかりがいるスタジアムでやるのが正しかったのか、というところですよね。W杯の本大会で結果を出すために、みんながいろんな立場で進むんですけど、代表チーム、協会、いろんなビジネス的なところがうまくリンクできていたかというと、そうではなかったと思います。

――「たられば」の話になってしまいますけど、もし現在の宮本さんが4年前の宮本さんに、何かアドバイスできることがあるとしたら、どのあたりでしょうか?

 当時の僕自身に言いたいのは「あまり周りに気を遣いすぎるな」ということですね。何というか、みんなが不満を持たない、いい気持ちでサッカーができるようにしようということばかり考えていたので。でも、なかなか難しいですよね。だから、ある程度は強引でもいいから、きつい言葉を投げ掛けてもいいから、チームをひとつにもっていくというところの強さというか、開き直りというのが、当時の僕にはなかったので。

――それほどまでにチームに気遣いしていたんですか?

 気を遣ったというか、どうすれば勝てるだろうというところですよね、いい結果を出すために。もちろん、試合に出る選手もいれば、出ない選手もいる。いろんな不満を抱えている選手もいる。そういったところをフォローすることで、みんなをひとつに持っていくことができるんじゃないかと思っていました。
 04年のアジアカップでもそうだったんですよ。もちろん、難しい局面もありました。それでもバイオリズムの点で言えば、チームが勝つことで、すごくポジティブな空気が生まれて、いい方向に一気に流れていったんですね。やっぱり「たられば」になってしまいますけど(グループリーグ第1戦の)オーストラリア戦で、もし結果が違っていれば……ということは考えますね。

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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