元キャプテンが語る2006年の蹉跌=W杯招致アンバサダー、宮本恒靖インタビュー(後編)

宇都宮徹壱

川口ひとりに頼ってはいけない

招致アンバサダーとして出席した「W杯を日本へ!」トークバトルの会場、大阪市中央公会堂にて 【宇都宮徹壱】

――04年のアジアカップの話が出てきましたが、あの時にはベンチに三浦淳宏や藤田俊哉といったベテランがいて、試合には出られなくてもベンチからチームを鼓舞していました。あるいは02年のW杯でも、秋田豊や中山雅史のような存在が大きかったとは思います。そうした存在が06年のチームに不在だったのは、返す返すも残念ですね

 田中マコ(誠)がけがでいなくなっちゃったんですよ。彼はそういう役柄もできる選手だったと思うんですけど、けがで(メンバーから)いなくなってしまった。僕はあの時、かなり大きな不安を覚えましたね。

――そういう意味では、今回のメンバーに川口能活が入ったことは、かなりプラスになると思いますか?

 難しいと思います。能活にそういう役割が与えられて、そのことばかりクローズアップされていますけど、そうではないと思います。チームの中で、そういった(チームがひとつになる)空気を生んでいかなければいけないですし、そうした中で能活の持っている経験だとか、キャラクターが生かされればいいわけで。それが「能活がやってくれるから、周りは何もしなくていい」というのでは、ダメだと思うんですね。そこの部分は、ちょっと心配していますけど。

――23人の男所帯の中では、どうしても調整役というか、盛り上げ役は必要だと思うんですが、今のメンバーでそれがほかに期待できそうな選手は誰だと思いますか?

 今の代表チームの雰囲気も分からないんですが……。そうですね、正剛(楢崎)なんかもいいキャラクターだと思うし、面白いこともパッと言えますし、バカなこともできますし。最近のイナ(稲本潤一)は、どんな調子なのか分からないですけど。でもドイツでの悔しさとか、ああいう雰囲気を知っている選手が「あれじゃあダメだ」という部分を生かすことができればいいと思います。

――今の日本と、同じグループの3チーム(オランダ、カメルーン、デンマーク)の力関係をどのように見ていらっしゃいますか?

 カメルーンの映像を見ていないので何とも言えないですけど、アフリカでやる大会なので、彼らのモチベーションもちょっと違うと思います。ただ、何となく締まりのないスタートをしているような試合を見たことがあるので、前半の立ち上がりから日本がフルパワーで行って、そこで勝ち点1以上が取れればとは思います。

――過去の大会を見ても、やはり初戦は重要です。重要だからこそ、試合の入り方も難しいのだと思いますが

 やっぱり硬くなりますね。(06年の)オーストラリア戦も硬かったですし、(02年の)ベルギー戦もみんな硬かったです。ほぐれるのは、後半途中ぐらいからじゃないですかね。もし2点リードできればほぐれると思いますけど、1−0では逆に緊張することもあるんじゃないですかね。このリードを何としても守らなければいけないという。

02年では自信をもらい、そして06年は――

――そういったことを踏まえて、今の日本代表に何かアドバイスすることはあるとすれば何でしょう?

 いろんなところで、みんなが「一体感」という言葉を発しているので、あまり心配はしていないんですけど。本当に(チーム内には)いろんな立場があるんです。試合に出られる選手、出られない選手、途中からしか出られない選手……。そういうものをうまく、ある程度は犠牲になる部分を持ちながら「チームのために」というのをみんなが持つようにすれば……そうしてほしいなあと思います。

――前回大会では、その「一体感」というものがなかなか醸成されないまま大会を終えてしまった感が強い。その反省を踏まえて「一体感」という言葉が頻繁に使われているように思うのですが、今回のチームにそれは期待できそうでしょうか?

 それは分からないですけど、でも勝つチームというのは必ず「一体感」があるんですよ、どこの国でも。僕らに勝ったオーストラリアにしても、端から見ていてそれは感じました。ゴールを決めた瞬間の喜びようなんかを見るとね。僕らにしても、(02年W杯の初戦の)ベルギー戦でゴールを決めた稲本がベンチに走っていきましたし。ああいうシーンですよね。

――宮本さんは2度のW杯を経験されました。それぞれのW杯は、ご自身に何をもたらしたと言えるでしょうか

 02年では自信をもらいました。06年は……けっこう重い傷をもらいました。

――重い傷、ですか。それはもう癒えましたか?

 なかなか癒えなかったですね。そういうのは、時間が経てば少しずつ消えていきますけど。W杯翌年の6月に、たまたま取材みたいな形で(第2戦のクロアチア戦が行われた)ニュルンベルクのスタジアムに行ったんですけど、やっぱり行きづらかったですね。今なら、そんなことはないかもしれないですけど。

――結局あそこで、宮本さんのW杯は止まったままになってしまいましたからね。あの時の傷をプラスに転換することは、もちろん言葉で言うほど簡単なことではなかったとは思いますが、今に生きていると感じることはありますか?

 そうですね。(W杯後に)海外でプレーできた経験もありますし、今も神戸で新しい経験をしています。そういう意味では、生かしているという実感はありますね。

<了>

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著者プロフィール

1966年生まれ。東京出身。東京藝術大学大学院美術研究科修了後、TV制作会社勤務を経て、97年にベオグラードで「写真家宣言」。以後、国内外で「文化としてのフットボール」をカメラで切り取る活動を展開中。旅先でのフットボールと酒をこよなく愛する。著書に『ディナモ・フットボール』(みすず書房)、『股旅フットボール』(東邦出版)など。『フットボールの犬 欧羅巴1999−2009』(同)は第20回ミズノスポーツライター賞最優秀賞を受賞。近著に『蹴日本紀行 47都道府県フットボールのある風景』(エクスナレッジ)

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