今日の推しメン#003「パフォーマンスを上げてチームに貢献し、日本代表に」 藤原忍
写真:せきねみき 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
「ボールがみぞおちに…」うれしさが一気に吹っ飛んだトライ
「第3節は最後の最後で相手にトライを許し、逆転負けした一戦です。自分がもっとメンバーとコミュニケーションを取っていれば、止められたトライだったんじゃないかと思っています。試合が終わってからも、しばらく反省しきりでした」
第3節の静岡戦、藤原選手はフル出場 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
トライの喜びもつかの間… 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
「完全に想定外で、めちゃくちゃ痛かった」と藤原選手 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
神戸戦でのトライは、藤原選手のお母さんが現地で見届けていました。「スピアーズの勝利を心から喜んでくれました。あとは、ケガをしていないか心配してくれましたね。母はラグビーのことを分からないなりにいろいろと調べていて、試合のたびに連絡をくれるんですよ」と顔をほころばせる藤原選手。かつてジュニア・ジャパンのメンバーに選ばれたときも「焦らず、無理しないように。ケガをせずにプレーすることが大事だから」と温かい声をかけてもらったそうです。
高校で地元を離れ寮生活「偶然声がかかった」
ラグビーを始めたのは中学1年生から。茨田北中でラグビー部に誘われ入部します。「相手をよけながらボールを持って走ることが楽しいし、パスもすぐできるようになって。ラグビーに向いていたんだと思います」と当時を振り返ります。
迷ったのちに、高校では親元を離れ、石川県輪島市にある日本航空高等学校石川での寮生活を選択。当時同校のラグビー部監督だった小林学先生が、大阪市の中学生が出場する大会を視察した際、藤原選手のプレーに目が留まり声をかけてくださったのだそう。寮生活の初日、見送りに来たお母さんに手を振った直後は泣きそうになったといいます。「もし辛いことがあっても、僕は何も言わずにためて頑張るタイプ。それを分かっていた母の『何かあったら言っておいでや』という一言が支えになりました」
最初こそホームシックにかかったものの、国際色豊かなメンバーに囲まれて楽しい寮生活を送った藤原選手。「スピアーズで一緒のアシペリ(・モアラ)やシオサイア・フィフィタ(トヨタヴェルブリッツ所属)に日本語を教えたら上手に話せるようになったので、基本は日本語でコミュニケーションを取っていました」
その後進学した天理大学でも寮生活を続け、2021年の大学選手権で日本一を経験。「雪の降る寒い中視察に来てくださり、天理大学ラグビー部に誘っていただいた小松(節夫)監督には感謝しています。天理での4年間の集大成で優勝できたことは、いい思い出です」
ラグビー人生におけるターニングポイントを尋ねると、こう即答しました。「高校で、寮に入ってラグビーを続けると決断したことですね。実は、小林先生は僕ではなく他の選手をスカウトするために視察に来ていたらしいんです。でも、たまたま声をかけてもらえた。地元に残ってラグビーをしたり遊んだりしたい気持ちも正直ありましたが、寮生活を選んで大正解。実家を出たからこそ、親のありがたみも感じました」
現在、藤原選手は5歳の女の子と1歳の男の子を持つお父さん。なんと特技は裁縫だといいます。「手作りが得意なんです。この前、子どもの洋服にワッペンを縫いつけましたよ!」
雑談しながら撮影。家族の話になると、自然と柔らかい表情に(撮影:せきねみき) 【クボタスピアーズ船橋・東京ベイ】
取材・文:せきねみき(ライター・コラムニスト)
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