マリーンズ広報のよもやま話 第22話(有馬記念編)

千葉ロッテマリーンズ
チーム・協会

【千葉ロッテマリーンズ梶原 紀章広報メディア室長 撮影 加藤夏子】

まもなく競馬の祭典、有馬記念(中山競馬場)だ。いつの間にだろう。自分の一年の物差しはこの有馬記念をゴールにしていた。だから有馬記念の日が来れば一年が終わったと思ってしまう。

 それは一種、特別な感情で一年の楽しかったこと、辛かったことが走馬灯のように蘇る。ただ一つ言えるのは有馬記念を迎えたという事はどんな形であれ無事に一年を乗り切ったという事。少しだけ自分を褒める。そんな一日だ。

 有馬記念の思い出は多い。でもやはり一番は2011年の有馬記念。オルフェーヴルが勝ったレースだ。この馬に関しては引退レースとなった2013年の有馬記念で勝ったことも思い出深いが、やはり東日本大震災が起きた2011年という一年が日本人にとって忘れることが出来ない年だったことを考えると特別だった。未曽有の震災で日本中が暗くなっていた。プロ野球も同じだった。平日も異例のデーゲームで開催される時期があったり電力を節約する目的で3時間半ルールが適用されるなど混乱が生じていた。当時の私はチケット営業に異動したばかりの年。慣れぬ仕事でチケットは売れずに困っていたが、震災後の状況下で、どのように野球のチケットを買ってもらうのか苦心をしたのをよく覚えている(そもそも野球チケットの営業をしていていいのかと悩んだ)。

 そんな中、競馬界に出現したのがオルフェーヴルだった。クラシック初戦の皐月賞で勝つと、大雨の中の日本ダービーにも勝利した。そして最後の一冠 菊花賞にも勝利して三冠馬になった。どこか暗い気分を抱えていたボクはこの馬の走りに心を動かされて、菊花賞をテレビ観戦していて泣いた。競馬中継を見て泣いたのは後にも先にもその一度だけ。最後の直線で突き抜けたオルフェーヴルがボクに「オマエも頑張れよ」とエールを送っているような気がしたのだ。もちろん錯覚なのだが、あの時のボクは本気でそう感じて泣いた。暗い日々で慣れぬ仕事。毎日、ため息ばかりついていたけど、それではいけないと思い知らされ前を向いた。そして迎えた有馬記念。古馬との対決に多少の不安があったがボクはこの一年、勇気づけてくれ続けたこの馬を信じた。そして勝った。レース後、粉雪が中山競馬場に舞った。その光景にまた勇気が湧き、来年はいい年にしようと心に誓った。

 あれから月日は流れた。今年も有馬記念の季節が来た。千葉ロッテマリーンズもボクも家族も楽しい事も悲しい事も色々あった一年だったけど、とりあえずボクはこの日を迎えている。2019年を振り返りながらテレビ観戦したいと思う。

文・千葉ロッテマリーンズ広報メディア室 梶原 紀章(かじわら・のりあき)

 1976年8月18日生まれ、大阪府吹田市出身。東京都私立郁文館高校〜関西大学。99年に産経新聞社に入社後、サンケイスポーツ運動部に配属し、00年にオリックス担当、01年から04年まで阪神担当。05年に千葉ロッテマリーンズに入団し主に広報業務を担う。11年にはチケット営業を経験。現在は広報メディア室室長
 
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