Jクラブユースへ有望株が流れる中でも… 変わることのない「高校サッカー選手権の価値」
前年度の選手権決勝を戦った青森山田と近江には、J1内定選手が1人もいなかった。それでも5万5000人を超える観衆が“普通の高校生”のプレーに熱狂した 【写真は共同】
脈々と受け継がれる“選手権の血”
「いつも『選手権って凄いな』と思うのは、今も僕らの頃とまったく同じ感じだということです。試合に負けたチームのロッカールームでは顧問の先生が選手に熱い言葉をかけて、3年生が後輩に『オマエらの代で頑張ってくれ』みたいなことを言うじゃないですか。そこは何も変わってないですよね。やっぱり高体連でサッカーをやっている子たちって、脈々と同じ色の血が流れているような気がするんです。だから、“選手権の血”ってずっと変わらないんじゃないかなって」
1993年に創設されたJリーグは、30年を超える時間をかけてその根を広げ、今や60ものクラブが日本全国に息づいている。98年に日本代表が悲願の初出場を遂げたワールドカップ(W杯)は、自国開催の熱狂も経験し、現在ではベスト8の先を見据えるような大会になった。こうして日本サッカーを取り巻く環境が大きく変わってきた中でも、高校生たちが3年間という限られた時間で憧れの舞台を目指す、圧倒的な熱量を宿した“選手権の血”は、おそらく半世紀近く前からまったく変わらずに、脈々と受け継がれている。
一方で高校年代の二極化が進んでいることは、あえて言うまでもないだろう。あるJクラブのスカウトはこう話す。
「Jリーグも創設から年数が経ち、より正確な統計も取れてきています。その中で、やはり最速でプロになることを考えればJのアカデミーに入った方が早いでしょうし、選手権の舞台を経験してから、それこそ大学進学後にプロ入りを考えるのであれば、高体連を選んだ方がいい。そうしたイメージがしやすくなっているように思います」
最近の高校生は、自らの実力や将来の設計図に照らし合わせ、その時点で目指すところを冷静に見極めている印象がある。
良い選手は根こそぎJクラブが獲っていく
Jクラブユース勢の優勢は、年代別代表選手の内訳からも見て取れる。23年U-20W杯を戦った日本代表で、高体連出身者はチェイス・アンリなど5人だけだった 【写真は共同】
年代別代表にもその傾向ははっきりと表れている。23年に行われたU-20W杯の出場選手の内訳を見ると、Jユース出身者(14人)は高体連出身者(5人)のおよそ3倍。同じく23年開催のU-17W杯でも、Jクラブユースに在籍していた選手(17人)が、高体連所属選手(4人)を大幅に上回っている。
「ジュニアやジュニアユース世代の良い選手は、根こそぎJクラブが獲っている印象があります」
そう話すのは、こちらはあるJクラブの強化担当者。いわゆる“囲い込み”も低年齢化が進み、将来有望とされる選手が早い段階でJクラブのアカデミーを選択する流れが、より加速していることは間違いない。
ただ、高校年代最高峰のリーグ戦と位置づけられている高円宮杯プレミアリーグでは、興味深い結果が残っている。23年は青森山田(EAST)、24年は大津(WEST)と、高体連のチームが続けてリーグ戦を制し、東西王者が激突する一発勝負のファイナルにも勝利して、日本一の座に就いているのだ。