“とび職見習い”だった増田大輝が再び野球の道へ 「お前をプロに行かせる」と交わした固い握手

高田博史

「お前をプロに行かせる」

 徳島の球団代表となって2年が過ぎ、坂口もすっかりこの街に溶け込んでいる。

 社交的で人とコミュニケーションを取ることが好きな性格だ。盛り場に顔を出せば、気さくに話のできる顔なじみも増えていた。

 そんな飲み友達のなかに、一人の棟梁がいた。いつものように店で一緒になり、楽しく飲んでいたときのことだ。一瞬、真剣なまなざしになったと思うと、ポツリポツリ語り始めた。

「ウチのとび職の若い衆で、高校まで真剣に野球やっとったヤツがおるんですよ。わいは野球やってないけん、見てもよう分からんし。大体、そいつが野球しよるとこ見たことないけん」

 普段は野球の話などまったくしない男である。それだけに少し興味深い。

「周りの人間も『あいつ、うまいわ!』とか言うんですよ。『草野球しかせんのはもったいない』とか言うて。わいはよう分からんのやけど……。『このままとび職に置いとくんはもったいない』とか言うヤツもおるんですよ。ほんなこと思たら、確かにこのまま野球せんと仕事させるんはかわいそうな気もするし……。坂口さん、いっぺん会うてみてもらえんですか?」

 優しい人なのだろう。真剣な思いはちゃんと伝わってきた。

 だが、あくまで酒の上での話である。一度本人と会って、直接話を聞いてみないと何も分からない。ちょっと野球がうまいからと言って通用するほど、ここは甘い世界ではない。

「いいですよ。それじゃあ1回、会ってみましょう」

 その若いとび職見習いの職人を面談することにした。

「どんな子が来るのかなあ……?」

 坂口の興味はますます大きくなっている。一度、挫折した選手を育てたい。そんな思いも胸のうちにある。

 2011年のある秋の日、増田は球団事務所が入っているビルに到着した。着慣れていないスーツが、どうもしっくりこない。これだけは言おうと、決めていたことがある。

「もう1回、野球がやりたい。それだけはしっかり伝えよう」

 球団事務所の扉を開き、増田が入ってきた。

「増田大輝です。よろしくお願いします」

 スーツに「着られて」しまっている姿が、逆にいじらしく見える。ああ、一生懸命着てきたんだろうなあ……。そんなことを思いながら、「増田大輝」という名前にピンと来た。

「小松島の増田……?」

 チーム編成のため、県内の高校野球は常にチェックしている。一昨年の夏、徳島大会準決勝まで勝ち上がった小松島高校のエースのことは覚えていた。

 面談のために用意した部屋に移動し、2台の長机を挟んで、2人が向かい合って座る。すぐに増田の突き刺すような目の鋭さに圧倒された。

(武士の目だな……)

 やせていて、背は175センチほどある自分よりも少し低い。だが、その真っすぐな視線と落ち着いた物腰は、まだ二十歳の青年だとはとても思えない。

 どういう経緯で大学を辞めることになったのか? その後、野球はやっているのか? 練習についていけないんじゃないか? あまり聞かれたくないであろう質問も含め、根掘り葉掘り尋ねてやろうと思っていた。だが、その目の力強さに、こちらが圧倒されそうになっている。

 思わず一言だけ聞いた。

「やる気あるか?」
「あります。もう一度、やりたいんです」

 弁護士の仕事とは、人を見ることだと思っている。人を見る目には自信があるが、野球選手の実力を見抜ける目は持っていない。だが、闘志むき出しの目と、真剣なたたずまいが坂口の心を揺り動かしてしまった。

 すでに球団代表として3シーズンを経験している。これまでも高校、大学の有名校でならした選手が独立リーグに挑戦し、まったく成績を残せないまま消えていく姿を見てきた。増田がものになるかどうか? なんて分からない。しかし、こいつに賭けてみようと思わせるだけの空気感を持っている。

「……分かった。そしたら、時間決めていいか?」

 坂口の言葉に、増田の目の奥の光がまた強くなる。

「ここはいつまでも長くいるところじゃない。でも、そういう覚悟をもって入って来たら、2年以内に結果が出るヤツは出る。俺はこの3年でそれを学んできた。その2年で結果を出す。お前をプロに行かせる」

 野球がやりたい。NPBに行きたい。その気持ちに嘘はない。だが、この部屋に入るまで、練習不足であることを含め「やってやるぞ!」という闘志よりも「本当にできるのか?」という不安のほうが勝っていた。

 お前をプロに行かせる―。

 その一言が、増田から不安をすべて消し去った。

「お願いします」
「分かった。じゃあ俺、2年間は絶対、面倒みるから」

 2人が握手を交わした。

 えらいことになった―。

 球団代表とはいえ、現場の首脳陣には何も言わず、増田に「獲る」と言ってしまった! 面談が終わった後、坂口はあわてて島田直也(2011年は投手コーチ、2012年より監督)に電話をかけた。

「島田さん、ホントに申し訳ない。監督に確認する前に僕、選手獲っちゃった。ごめんなさい」

 電話の向こうで、島田監督がいつもの笑顔を浮かべているのがわかる。

「それはもう代表なんだから、そういう枠があってもいいじゃない。ただ、実力はちゃんと見極めますよ」

 その言葉にホッとした。島田監督が言葉を続ける。

「もう大学辞めてるんだったら、練習参加は全然問題ないはずだから、1回ちょっとウチの選手たちとの練習に参加させてみようよ」

 すぐに増田に連絡を取る。後日、鳴門市内のグラウンドで行われている徳島の練習に参加することになった。

 車を走らせ、坂口がグラウンドに向かう。実力も見ていないのに「獲る」と言ってしまったことの引け目がある。

 グラウンドに着いたのは、全体練習が終わり、個別の自主練習がそろそろ終わろうとしていたころだった。ほかの選手たちと一緒になって、増田が森山一人コーチ(元・近鉄ほか)の打つノックを受けている。かなり息が上がっているようだが、なんとかこなしていた。

 坂口はノックを終えた森山コーチに恐る恐る近寄り、尋ねてみた。

「増田、どうスかねえ?」
「代表、これはすごいです。東より上です」

 この2013年秋のドラフトにおいて、徳島の遊撃手だった東弘明(八日市南高)がオリックスから育成1巡目で指名されている。

「入団時ってことで比べたら、東より上です」

 森山コーチの選手を見る目には、全幅の信頼を置いている。その森山が「こいつ、いけますよ」と言ってくれた。坂口にとっても大きな挑戦となる、2年間が始まろうとしていた。

書籍紹介

【画像提供:カンゼン】

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とび職、不動産営業マン、クビになった社会人、挫折した甲子園スター
諦めの悪い男たちの「下剋上」

2/2ページ

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