サッカーと野球~プロスポーツにおけるコンバートの意義

今野、長友、佐々木、綱島…数々のコンバートを行ってきた城福浩監督の矜持「選手をよく見せる劇薬では決してない」

馬場康平

“失われた数年”を過ごさせるわけにはいかない

チームが4バックから3バックに変更したのに伴い、ストッパーの定位置をつかんだ綱島(中央)。34節の浦和戦ではDFながら2ゴールをマーク 【写真は共同】

――課題と向き合って悩みながらプレーしている点で、ふたりの境遇は似ていますね。

 もうひとつ共通点があって、当時のFC東京で言えば梶山と米本がいたように、今のヴェルディにも森田晃樹、齋藤功佑、見木友哉がいる。それも発想の後押しになりました。誰かを外すのか、それとも、一人ひとりの良さを同時に生かす方法はないのか。

 要するに、チームの最大値と個人の伸び幅や悩みを解消して自信をもたせるかを総合的に決める。そうした背景も非常に似ていると思います。ここがイマイチだからと選手単体を考えて、軽い気持ちでコンバートさせて、選手のキャリアにおいて“失われた数年”を過ごさせるわけにはいかない。だから、そこでの判断は決して軽くないと思っています。

――十数年前と今とでも違ってくるかもしれませんが、選手個々にはどう伝えましたか?

 当時から15年が経ち、私もアップデートしていないと、この立場にはいられない。いろんな経験をして、いろんな思いを味わうことで、選手の心情を自分も察することができるようになりました。また、その心情を別ルートから情報として得ることもしながら、どう声を掛けるかは当時よりも確実にアップデートされていると思います。

 当時のコンちゃんには単刀直入に伝えました。「今だとこの競争に確実に勝てていない。日本代表に残るためには試合に出なきゃいけない。このチームで競争に勝てないなら日本代表のボランチで試合に出ることは難しい。ただ、CBとしての今野泰幸は、日本一ビルドバックのうまいCBになれるぞ」と。そうやって率直に伝えました。だけど、綱島に対してはもっと自信をもたせるように心掛けました。ただ、ウソは言わない。

 言い方や、決断するタイミングも含め、当時より今のほうが良かったかどうかは分からない。ただ、当時も誠心誠意尽くしたつもりだけど、今回のほうがより熟慮したし、本人がどんな気持ちで今ベンチを温めているか、キャンプ中からどんな立ち位置で、何ができて、どんな課題に向き合ってきたか、時間をかけて見てきた。そのうえで「これは決断すべきときだ」と判断したので、判断する情報量は昔よりも多かったかもしれない。チームとしてどういうサッカーがしたくて、ボランチにはどうあってほしくて、CBにはこうしてほしい、ということが自分の中で整理された状態で綱島には伝えられたと思います。

――結果的に今野選手は2014年ブラジル・ワールドカップにCBとして出場しました。

 彼がボランチをやりたかったこともよく分かっていました。(その後に移籍した)ガンバ大阪でヤット(遠藤保仁)とボランチを組んだときは幸せだったと思う。あの当時(2009~2010年のFC東京)、中盤3人を同時に使うやり方もあったかもしれない。そうなると、羽生直剛、平山相太、石川直宏らの誰かを外すのかという選択にもなる。

 チームの最大値を探るなかでの決断だったけど、15年前を振り返れば申し訳なかったという思いもどこかにある。今ならコンちゃんを最終ラインに下げなくても最大値を出す方法や立ち位置、組み合わせを考えついたかもしれない。それは比べられないけど、当時の自分が考えられる精いっぱいの答えを出したつもりでした。その当時と今とで、自分の引き出しがどれだけ違うかは自分が1番よく理解しているつもりです。

コンバートはもがく日々のなかで生まれるもの

左SBとして神奈川大から甲府に加入した佐々木(左)は城福監督によってストッパーにコンバート。その恩師とは広島でもともに戦った 【(C)J.LEAGUE】

――甲府時代に佐々木翔選手をSBからストッパーに配置展開したときは、細かな空中戦の勝率のデータを示していたことも印象に残っています。

 翔の守備力の高さは分かっていたけど、当時のSBにはもう少し攻撃的な役割を求めていた。一方で、彼は身長が180センチに満たないのに空中戦が強くて、4バックの2CBであっても任せられると思えるぐらいだった。そこからの思考はコンちゃんや綱島と一緒で、何が得策なのかを考えました。その結果、「ここしかない」という3バックの左での起用という発想にたどり着いた。3バックの左で、日本で1番いい選手はいまだに翔だと思っています。

――ここまで過去のコンバート例の話をしてきましたが、現在のコンバートに対する考え方や捉え方は大きく変化しましたか?

 仮にコンバートして成功したとして、じゃあ、コンバートしなかったらどうだったかは分かりません。果たしてそれが良かったのかどうかは誰にも分からないはずです。ただ、監督としては、選手が迷いなくプレーできて、充実した時間を過ごせたのであれば良かったと思える。

 ただし、その後まで一生面倒見られるわけではない。自分がその選手のポジションを変えたから成功したなんて、私は1度も思ったことがない。できれば選手に「あそこでコンバートされなければ……」と思わせたくない。だからこそ、ポジションを変えたことがプラスに働いたと思ってもらえるようにアプローチしてきたつもりです。選手と向き合いながら、チームの最大値を出し、個人の最大値も発揮させることは指導者の責任であって、こちら側に引き出しがないとやれるものではありません。当時は怖いもの知らずでやっていたところもあるけど、今さらながらにそう思います。

――それも監督の腕の見せどころになってきますね。

 課題に向き合わせるのは、すごく大事なことでもある。だけど、同時にそれを強く意識させながら試合をさせることは得策じゃない。公式戦では本能的に動けたほうがよりいいパフォーマンスを発揮できるはずです。でも、だからといって課題をおろそかにしていいわけではない。同時にアプローチをしなきゃいけないのがこの世界です。

 コンバートは選手をよく見せる劇薬のように見えるけど、実は課題にちゃんと向き合わせる日常と、試合時にノビノビとプレーできる環境の両方を用意できるかどうか。そこは指導者の技量になってくるのだと思います。

――それが城福監督としての「コンバート論」の答えなのかもしれませんね。

 そうあるべきだと思います。コンバートに対して成功か否かの答えは誰にも出せないけど、課題に向き合いながらもノビノビとプレーする日常はつくれる。選手がいい顔をして日々過ごせる環境をつくれているのであれば、それは成功のひとつのカタチと言えるかもしれない。

――最後に、コンバートに限らず、今後こんな選手を育ててみたいという理想はありますか?

 それはね……。現場にいれば、与えられた組織、スタッフワーク、バジェットの中でやらなきゃいけない。規模は違えど、各々がそういう中で戦い、頭を悩ませている。急に「この11人はいらない、あっちの11人がいい」なんてならない。各々が背負う背景があって、チームが歩んできた歴史の中で勝負をしている。

 そうしたなかでチームの最大値を引き出すべく、いまのトレンドと不変であるべきものを組み合わせ、勝利から逆算しながらもがくのが楽しいのであって、理想を言うのは現場じゃなくなってからなのかな、と。今回のテーマであるコンバートも、そうしたもがく日々のなかで生まれるひとつの話だと私は思っています。

(企画・編集/YOJI-GEN)

城福浩(じょうふく・ひろし)

【(C)Tokyo Verdy】

1961年3月21日生まれ、徳島県徳島市出身。早稲田大から富士通に入社し、JSL2部の同サッカー部に所属。28歳で現役を退き、しばらく一般職として社業に携わったのちに同サッカー部のコーチ、監督を務める。98年に富士通を退社すると、99年にFC東京の育成部門の統括に就任。05年にはU-15日本代表監督に任命され、06年AFC U-17選手権で優勝。翌年U-17ワールドカップに出場する。以降、08年にFC東京の監督に就任したのを皮切りに、ヴァンフォーレ甲府、FC東京、サンフレッチェ広島、東京ヴェルディとJクラブの監督を歴任している。

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著者プロフィール

1981年10月18日、香川県出身。地域新聞の編集部勤務を経て、2006年からフリーに。現在、『東京中日スポーツ』等でFC東京担当記者として取材活動を行う。2019年に『素直 石川直宏』を上梓した。

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