アメリカのF1バブルは終焉したのか? 煌びやかなネオン街を駆け抜ける第2回ラスベガスGPの行方

柴田久仁夫

コース脇にそびえる新名所「スフィア」。2万人収容の球形のアリーナの内外壁に高精細LEDがびっしりと張られ、F1のセッション中も目まぐるしく映像が変化した 【(c) Redbull】

史上最も豪華で、高価なグランプリ

 F1GPは今週末、ラスベガスGPを迎える。去年に続き、2回目の開催だ。

 この地ではかつて1981年に、「シーザースパレスGP」という名称でF1レースが行われたことがあった。しかし当時のアメリカでのF1人気の低調さに加え、シーザースパレスホテルの巨大駐車場にコンクリートウォールを積み上げた急造サーキットではレースが盛り上がるはずもなく、わずか2回の開催で中止された。

 それから40年以上を経て、去年ラスベガスに戻ってきたF1は何から何まで桁外れだった。コースは超高級ホテルやカジノが林立するメインストリート「ラスベガスストリップ」を中心とする公道サーキットで、F1を所有するアメリカ企業「リバティメディア」が直接主催する唯一のGPでもある。そして彼らはこのレースのためだけに、スタート/フィニッシュラインやピット、パドック周辺の土地を買収。開催までに5億ドル(約750億円)もの巨費を投じたと言われる。

 当然ながら、チケット料金も高騰した。3日間通しの平均価格は1500ドル(約22.5万円)、その2カ月前に開催された日本GPのG席1万6500円の10倍以上。ちなみに世界中のF1観戦ツアーを紹介するf1destination.comによれば、同年に開催されたF1全22戦で最もチケットが安価だったのが日本GP、最も高価だったのがラスベガスGPだった。

 一方で著名なシェフによる食事付きでテラスから観戦できるパドックパスは、ラスベガスGPの8000〜11000ドル(128〜176万円)に対し日本GPも78万円と、ラスベガスが極端に高いわけではない。ただし目抜通り沿いの超高級ホテル群は、疾走するF1マシンを眼下に見下ろせる地の利を生かし、とんでもない高額パッケージを用意した。

 最たるものがシーザースパレスの5泊パックで、価格は実に500万ドル(約8億円)。1000平方m近いスカイヴィラで75人のゲストをもてなしながらF1観戦できるというもの。ただし実際に購入した客がいたかどうか、ホテル側は明らかにしていない。

今年はチケットもホテルも大幅値下げ

超高級ホテルが林立するラスベガスストリップ 【(c) Redbull】

 いずれにしても主催者やホテル側がそこまで強気だったのは、アメリカでのF1人気が沸騰していると信じていたことが背景にあった。しかしF1ファンは、ラスベガスに押し寄せなかった。開催直前になってもチケットは完売せず、多くのホテルが20〜40%のディスカウントを余儀なくされた。

 さらにGP初日にはコース上のマンホールの蓋が外れ、フェラーリなど2台がダメージを負う事故が発生。修理点検に長時間を要し、次のセッションが始まったのは深夜2時半。警備の問題から急きょ無観客と決まり、寒空の下待っていたファンたちは会場から追い出される運営上の大失態もあった。

 ただ決勝レース自体は、煌びやかなネオンサインの中を大迫力のバトルが繰り広げられ、非常に見応えのあるものだった。それだけに2回目となる今年は、いっそう多くの観客が詰め掛けるのではないか。ところがそんな期待に反し、チケットの売り上げは去年以上に伸び悩んでいる。

 1年前の価格設定が高すぎたとの反省から、チケット料金は全般的に安めに、さらにより低価格の一般入場券を1万枚追加した。にもかかわらずこの原稿を書いている開催1日前の時点でも、多くのチケットが売れ残っている。たとえばラスベガスストリップのストレート終盤、ブレーキングバトルが間近で体験できそうな「クラブパリス・ホスピタリティ」の3日間通しチケットは、同GP公式サイトで当初4000ドル(約60万円)だった。それが今は半額の2000ドル(約30万円)、決勝日当日のみでは800ドル(約12万円)までディスカウントされたが、売り切れていない。

 ホテル事情も同様で、筆者とは1990年代からのF1取材仲間で、今もほぼ全戦に出かけるフォトグラファーの熱田護氏は、「今年のラスベガスは、宿泊費がどんどん安くなっていった」と言う。

「ピットエリアにも歩いて行ける中心部のホテルを2年続けて予約したんですが、去年は1泊1万5、6千円でした。それが今年は、最初はそれくらいだったのがサイトを見るたびに安くなって行って、最後は1泊1万円しない。窓なし、3畳くらいの超安宿でもシンガポールGP週末は2万円を超えるのに」と、電話の向こうで苦笑していた。

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著者プロフィール

柴田久仁夫(しばたくにお) 1956年静岡県生まれ。共同通信記者を経て、1982年渡仏。パリ政治学院中退後、ひょんなことからTV制作会社に入り、ディレクターとして欧州、アフリカをフィールドに「世界まるごとHOWマッチ」、その他ドキュメンタリー番組を手がける。その傍ら、1987年からF1取材。500戦以上のGPに足を運ぶ。2016年に本帰国。現在はDAZNでのF1解説などを務める。趣味が高じてトレイルランニング雑誌にも寄稿。これまでのベストレースは1987年イギリスGP。ワーストレースは1994年サンマリノGP。

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