井上拓真との12年ぶりの決戦迫る堤聖也 戦ってきた相手の思いも拳に乗せ、世界奪取を誓う

船橋真二郎

年間表彰式で語った固い決意

2月19日、努力・敢闘賞、年間最高試合賞を受賞した年間表彰式で 【写真:ボクシング・ビート】

 堤は2024年が明けた1月6日、4度防衛した日本バンタム級王座を返上、次のステップに進む意志を明らかにした。2月19日には、東京ドームホテルで催された2023年の年間表彰式に出席した。努力・敢闘賞に選ばれるとともに昨年12月26日の4度目の防衛戦、穴口一輝さんとの激闘が世界戦以外の年間最高試合賞に選出された。

「お互いがお互いの持ち味を全部、出した試合。ちゃんと選んでくれてよかった。あの試合を僕は誇りに思っているので」と気丈に語った堤は「穴口選手は本物のボクサーでした。悔やまれるのは今日、この日、一緒にいれなかったことだけです。心よりご冥福をお祈り申し上げます」とリング禍で帰らぬ人となった穴口さんを悼んだ。

 それから、「試合前にはいつも、これで僕が終わるかもしれないと覚悟している」と固い決意を続けた。

「僕は人生の潰し合いと思って、ボクシングをやっているから。(穴口さんに対して)その思いはより強いですけど、彼に問わず戦ってきた人たちへの思いがあるし、僕の拳、僕の人生には彼らの思いがしっかり乗っているので。それも覚悟した上で、今後とも僕のスタイルのボクシングを見せたい。世界は必ず獲ります」

 ボクシングは人生の潰し合い――。堤が初めて口にしたのは比嘉戦の前だった。プロの1試合の重みは常に感じていたが、「友だちとの試合だったから、余計に強く感じたのかもしれない」と振り返る。全勝全KO勝ちで奪取したWBC世界フライ級王座を自身の計量失格で失った比嘉は、どん底から這い上がっている途上だった。

「あいつも、やっとの思いでカムバックして、世界ランキングに復帰して、これからというときだったし、応援もしてたから。けど、俺は俺でやらなきゃいけなくて、大吾の世界ランキングを絶対に奪わないといけなかったんで」

パンチを打つたびに悲しくなった日々を越え

10月13日、有明アリーナで井上拓真(左)に挑戦する(2024年8月22日) 【写真:船橋真二郎】

 10月13日、有明アリーナでWBA世界バンタム級王者の井上拓真に挑戦すると正式に発表された会見の中で堤はこうコメントを残していた。

「こういう7大世界タイトルマッチ、(2日間の)すごいビッグイベントに参戦できて、(1日目の)メインでやらせてもらえるのも拓真選手が評価の高いチャンピオンだからで、僕は“運”がよかったなと思います」

 目標の世界王者、高校2年のインターハイ以来となるリベンジを注目の集まる「Prime Video Boxing 10」という舞台で同時に果たせるかもしれないチャンスを手にしたのだ。「でもね……」と堤は苦笑まじりに言った。「もともと僕は“不運”の代表格だったじゃないですか」。

 比嘉戦から1年8ヵ月、堤は試合から遠ざかることになる。コロナ禍、対戦相手の体調不良などもあり、試合が決まってはキャンセルになる事態が相次いだ。日本王座挑戦者決定戦出場が決まりながら、対戦候補が“前哨戦”で敗れてしまった。労せずに挑戦権は得たが、そこから待たされ続けた。ターゲットとなる王者が決まらなかったからだ。

 日本バンタム級王座は2021年1月から1年1ヵ月の長きにわたり、異例の王者不在期間が続いた。堤以上に不運だったかもしれないのが澤田京介(JB SPORTS)だった。

 同級1位として、2019年10月に挑戦権を獲得するものの、コロナ禍に見舞われ、王者のケガに待たされ、挙げ句に王座返上。ようやく出場した王座決定戦は幸先よくダウンを奪いながら、バッティングで2回負傷引き分けに終わる。仕切り直しの一戦は相手の減量失敗で中止に……。結局、ベルト奪取まで挑戦権獲得から2年4ヵ月もかかった。

 この間、試合のない堤には当然、ファイトマネーによる収入はない。それでも励みになってくれればと後輩たちから直接、チケットを買い、会場に応援に駆けつけることはやめなかった。

 念願の日本王座挑戦が決まりながら、ボクシングの練習時間を削って、生活のためにアルバイトを2つ、3つと掛け持ちする日々……。挑戦権獲得から11ヵ月後の2022年6月に日程が定まった堤が、当時をこう振り返っていたことが思い出される。

「後輩の試合を見ても、刺激をもらうこともなくなって、むなしい気持ちで帰ったり、練習してもパンチを打つたびに悲しくなったりして……」

 そんな堤の心に火をつけたのが2人の「1995世代」の快挙だった。2021年11月、坪井智也と岡澤セオンが日本人史上初となるアマチュア世界選手権優勝を成し遂げるのだ。遠くセルビアからのライブ映像で坪井、岡澤の戦いを初戦から見届け、「すごいな」と胸を熱くし、「俺もやらなきゃ」と奮い立たされた。

 堤は澤田京介を8回TKOで下し、ボクシング人生で初の“日本一”を勝ち取る。が、歓喜から約2ヵ月。胸に抱いてきたはずの覚悟を実感として突きつけられることになるのである。

人生の潰し合いを実感させられた日本王者時代

2022年6月、堤聖也は日本バンタム級王座を奪取 【写真:ボクシング・ビート】

「澤田選手が引退したのを知って、俺、ほんとに人の人生を潰した、夢を奪ったんだと感じたんですよ。年齢も年齢だったし、俺に負けたら引退するだろうなとは試合前から思ってましたけど、実際に引退のニュースを見たときのショックはすごかったですね」

 ずっと日本王座の動向を追いかけていたからこそ、待たされ続けた澤田に感情移入もしていた。幼い3人の子どももいる澤田がベルトを獲ったときは、どこかで「ほんとによかったな」という気持ちにもなったのだ。

 2度目の防衛戦で戦った南出仁(セレス)は「1995世代」だった。アマチュア時代は階級が違った2人の成績は、南出は準優勝が4回に3位が1回、堤は準優勝が1回に3位が6回。ともに優勝には手が届かなかった。いつしか試合会場で顔を合わせたときは「今回こそ、獲ろうぜ!」が挨拶代わりになったという。“日本一”に対する思いの強さは痛いくらい理解できた。

 指名挑戦者1位の南出の挑戦を7回TKOで退けたリング上で健闘を称え合い、「世界に行ってください」「先に待ってるよ」とエールを送り合った。

 医務室でドクターチェックを終えた南出と堤が控え室前の通路で鉢合わせしたところをよく覚えている。「ボコボコにしてくれて、ありがとう」。冗談めかしながら、南出の表情はどこか晴れやかに見えた。

「同い年だし、まさか引退するとは思ってなかったから、ショックは大きかったです。あのときも結構、落ち込みましたね」

 だから、決して穴口くんのケースとは同列にはできないけれど、と前置きした上で、ここまで戦ってきた一人ひとりに思いがあるんです、と堤は言った。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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